『浮れ達磨』は、童謡「赤い靴」「七つの子」などを作曲した本居長世の作・作曲の喜歌劇。
これは、白木屋少女音楽隊で上演した演目でした。
二回目の公演以降、座付きの脚本家や作曲家によるオリジナル作品が次々と発表されますが、この第一回公演は間に合わなかったため、有り物の作品となりました。
また当時、歌劇の台本といえば、『ドンブラコ』と『浮れ達磨』ぐらいしかない時代でした。
三本目の『胡蝶』は歌劇ではなく踊り。曲はハインリヒ・ウエルクマイスター作曲で、1911年に三浦環が出演して話題となった曲でした。
生徒たちの歌唱指導には、東京音楽学校(現・芸大)出身で歌劇の第一人者、安藤弘。そして、学校時代、三浦環を抜かして首席をとったという安藤千笑夫人。
振り付けには水木流の家元、久松一声。「久松情緒」と呼ばれる宝塚の日本物の基礎を作った振付家でした。
そして安藤夫妻と同じく東京音楽学校出身の高木和夫。高木和夫は、本番の音楽監督及びピアノ伴奏もこなしました。そしてこの高木和夫が後に『モン・パリ』『パリゼット』など多くの名曲を手がけることとなります。
一流の指導者たちを揃えたのでした。
実は、この第一回公演が不評であれば、夏には室内プールに戻すという案もありました。
ところが可愛らしい少女たちの歌、踊り、器楽合奏などは大好評! 今に至ったわけです。
最初の主役は?
さて……宝塚ファンの方はご存知でしょう。宝塚に関するクイズによく出てきます。「宝塚歌劇団の最初の作品は、御伽噺を題材にしました。さて、何の御伽噺ですか?」。
答えは……桃太郎。「桃がどんぶらこ、どんぶらこ……と……」から『ドンブラコ』。
桃太郎を演じたのは、後に「男役スター第一号」と呼ばれる男役スターとなった高峰妙子。当時、14歳でした。
オスカル、レット・バトラー、トートetc……ファンを魅了する宝塚の主役の一番初めは、桃太郎さんだったのです。