注目されはじめたのは大正時代から

閻魔

柳氏が傑作と評した、新潟県十王堂の閻魔大王

しかし、木喰さんの作品は、立派なお寺のお堂に祀られる仏像とは違って、庶民的なもので、造っていた当時、木喰さんの名が広く知られていたわけではありません。芸術というものは、それを造る人とその価値を認める人がいてはじめて成立するもので、誰かが「発見」しなければ、どんなに優れた作品であっても、そのまま埋もれてしまうことも多いものです。

木喰さんが彫った仏像の素晴らしさを発見したのは、大正から昭和にかけて活躍した文化人の柳宗悦氏です。この方は、それまでありふれたものとしてかえり見られることがなかった日本各地の民芸品や朝鮮半島の陶磁器類などに光を当て、その魅力を世に知らしめる「民芸運動」という活動をした方です。この人は、たまたま山梨県の知人宅にあった木喰仏を見て感動し、日本各地に残されている木喰仏を調査して歩かれました。現在のわたしたちが、あちこちの展覧会などで木喰仏を見ることができるのは、実は、この柳さんのおかげなのです。

木喰仏の魅力とは

如意輪

夢見るような微笑を浮かべる如意輪観音(新潟県、小栗山観音堂蔵)

木喰さんが彫った仏像は、多くが、円満な微笑みを浮かべているため、「微笑仏」(みしょうぶつ)と呼ばれます。しかし、実は、木喰さんの仏像は、始めから、このような微笑みを浮かべていたわけではありません。60代になって彫り始めたころは、まだ、いかめしく、怒ったような表情を浮かべている作品も多いのです。人間、60歳はまだ駆け出し。それから修行を積んで、より円満な人格を形成したため、表現も円満になったのでしょうか。

また、木喰さんは早彫りでも知られます。昼は仕事をし、夜、蝋燭の灯りの下で、一晩に3体もの仏像を彫り上げたとか。力強くてシンプルなラインを見ていると、迷いなく一気に彫り上げる木喰さんの姿が目に浮かびます。

新潟に多い木喰仏

木喰さんは、全国を歩いて、1000体以上の仏像を彫ったといわれています。そのうち、現存が確認されているのは、およそ600体。そのうち約4割が新潟県にあります。なぜ新潟に多いのか。それは、生涯のうちに2度訪れ、それぞれ4年ほどを新潟で過ごしたからです。しかも2度目に訪れた80代後半は円熟期であったため、木喰さんらしい微笑を浮かべた作品が多いのも特徴です。