つかこうへいが「お笑い」に与えた影響
昨年7月、演劇の世界に多大な足跡を残した、つかこうへい氏が逝去されました。「つか以前・つか以後」という言葉が残されていることからも判るように、その功績には計り知れないものがあり、多くの役者、劇作家、劇評家が、演劇界の巨星に追悼の言葉を送りました。どのコメントからも、熱い誠実な思いが伝わってきたものの、ひとつだけどうしても気になることがありました。それは「なぜ、つかこうへいが日本の笑いを変えたことに、誰も言及していないんだろう?」ということでした。
誰もやらないのなら……ということで、正直、タイミング的にはかなり外してしまいましたが、今あえて、お笑い・バラエティ番組ガイドなりの追悼の意を込めた評論を試みたいと思います。
あまりにも大きな存在のオブラート
確かに、演劇の世界に革命ともいえる衝撃を与えた功績はあまりにも大きく、つか本人の激動の生涯とともに、熱を込めて語りたい思いは頷けます。しかも多くの劇評家は、つか芝居の笑いを「過激なテーマを観客に伝えるためのオブラート」といった位置づけをしていますし。仮にそうだとしても、そのオブラートが日本の笑いをどれだけ変革させたことか。 横澤彪氏追悼の際に、80年代の漫才ブームが日本の笑いを変えたと評しました。もちろんそれは真実ですが、その根底に流れているのは、70年代につかこうへいが創造した「笑いの手法」なのです。
若いお笑いファンには、こういった時系列が把握できていないかもしれません。その辺りを含めて、次ページから懇切丁寧に説明したいと思います。