大学誘致に失敗、
整然とした美しい街並みだけが残った
大泉学園駅南口。写真左手の建物が再開発で誕生したゆめりあ
練馬区大泉、大正13年、最初にこの地にできた西武池袋線の駅の駅名は東大泉。今も駅の北側に残る町名です。それが現在の大泉学園に改称されたのは昭和8年。関東大震災の後、郊外の住宅街のニーズがおおいに高まっていた時期です。
駅南口のバス通り沿いにある東京学芸大学付属中等教育学校。中高一貫となったため、中学校、高校が順次廃止となっている
この改称にはある期待が込められていました。それが大学移転。この地を開発した箱根土地(西武鉄道グループのデベロッパーで後のコクド。プリンスホテルに吸収合併され解散)は東京高等師範学校(現筑波大学)もしくは東京第一師範学校(現東京学芸大学)を誘致しようと計画していたといいます。箱根土地は同時期に国立学園都市、小平学園都市も開発していますが、最終的に大学誘致に成功したのは国立のみ。その後、駅の南側に東京学芸大学附属大泉小学校、同国際中等教育学校(いずれも現在。かつてあった中学校は2009年に閉校、高等学校は2010年度から募集停止)が作られはしますが、それはかなり経ってからのこと。箱根土地は結局、学園都市としてではなく、一般の住宅地として大泉を販売します。
将校住宅と地元で憧れを持って呼ばれるエリア。確かに道幅は広く、区画も大きく、住宅も立派
ただ、学園都市構想が最初にあったためか、特に駅のすぐ北側、東大泉からそのさらに北の大泉学園町にかけては碁盤の目状に道路が配され、ゆったりとした街並みが広がっています。なかでも東大泉3丁目は駅から近い高台に位置し、地元では「将校住宅」の名称で知られるお屋敷街。ここは、昭和18年に市ヶ谷にあった陸軍士官学校が朝霞に移転した際、それに伴って陸軍予科士官学校職員住宅協会が軍の将校たちのために開発した住宅地なのです。
住民が管理する水道事業団体が
日本一おいしい水を供給
取材時、ちょうど大泉名水会が主催する記念行事のポスターがあちこちに貼られていた。自治活動には各種あるが、この地の活動はかなり珍しいものといえるだろう
ゆったりした住宅街というだけなら、他にも似たような街はいくらもあります。しかし、この街には他の街にない大きな特徴があります。それが水。このエリアを歩いてみると、住宅の玄関に小さなシールが貼ってあることに気づきます。そこに書かれている「大泉名水会」、これは地域住民によって管理、運営されている地域の水道事業団体の名称です。将校住宅が開発された時期に同時に掘削された深さ230mの井戸からくみ上げた水が今も各戸に給水されているのです。
水のおいしさは水の分子の塊の均一さで決まり、世界一おいしいのはカナダ、ケベックの水だと聞きます。しかし、同じ評価基準で検査すると大泉の水はそれに次ぐ数値で、秦野の湧水、六甲の水などよりはるかにおいしいのだとか。確かに子どもの頃、このエリアのお宅で飲ませてもらった水は、自宅のある大泉学園町の水道水とは違う、カルキ臭のない、夏でも冷たい水でした。今、この大泉名水会を支えているのは地元の500余世帯。ごく限られた人だけがおいしい水を飲める住宅街、贅沢な話です。
東大泉3丁目周辺で一戸建てが販売されていた。バス通りから近く、さほど大きな区画ではないが、価格は8000万円をはるかに超えた額!
ちなみに、このエリアでの住宅供給は非常に少なく、出るとすると土地価格で3.3平米あたり180万円~200万円といったところ。土地の高低や区画の広さなどによってはもう少し安い例もありますが、周辺に比べるとずば抜けて高いエリアであることは間違いありません。また、東大泉では駅の南側に学芸大学付属大泉小学校・中学校などがある5丁目周辺、バス通りを挟んでその反対側にあたる6丁目周辺にも道幅の広い、価格の高いエリアがあります。
今回取り上げたのはこのエリア
大泉学園駅周辺の位置関係概念図。記事中に出てきた施設などを落とし込んである。東大泉は駅の南北に広がっており、いわゆる将校住宅と呼ばれるエリアは駅の南側になる。距離、位置関係は正確ではありません
続いて
西武池袋線大泉学園の駅前、街の様子を見ていきましょう。