中央線沿線には古くから文化人が多く住んでいたせいか、独自の中央線文化とも呼ばれる雰囲気があります。特に荻窪は他地域に先駆けて区画整理が行われ、今でもお屋敷街が残る杉並区内屈指の住宅街です。では、街の様子をご案内しましょう。

【荻窪周辺の街の様子は?】

荻窪周辺の地図
中央線、青梅街道、環八を中心に庶民的な商店街、お屋敷街が広がる荻窪周辺


中央線、丸の内線、東西線利用で都心直結

北口

長らくロータリーの工事が続いていた荻窪駅北口。闇市の名残りだった焼き鳥屋さんも移転、小さな広場もできた(クリックで拡大)

新宿から中央線快速で4駅10分、丸の内線利用でも7駅14分、そして総武線と乗り入れている東西線を利用すれば九段下、大手町にも直通。中央線沿線でも都内で3線以上利用可能な駅はここだけという便利な場所が荻窪。

 

この辺りはもともとは農村地帯。しかし、区画整理が始まったのは早く大正末期のこと。先見の明のあった井荻村の村長、内田秀五郎の尽力で早い時期から整然とした道路、区画が作られ、今のお屋敷街の基礎となったのだとか。実際その後、昭和に入ってからは「西の鎌倉、東の荻窪」と呼ばれる別荘地でした。井伏鱒二など文化人が居住したのもそんな時代。

その面影は街の随所に見られます。例えば、文化庁の登録文化財に指定されている建物や大正年間から続くクリーニング店、昭和初期に建てられた高級アパートを利用した旅館など。公開はされていませんが、政治家近衛文麿宅であった広大な屋敷、荻外荘(てきがいそう)もそのひとつ。そこここに、大正、昭和からの歴史が残っているのです。


グルメ、文化を楽しむ荻窪暮らし

もともとは醤油味の東京ラーメンが主流だったが、今ではなんでもありの荻窪ラーメン
伝統が生きているのは街並みだけではありません。舌の肥えた人たちが多いためでしょうか、おいしいお店が多いのが荻窪の大きな特徴。全国的に有名な荻窪ラーメンは今でも50軒以上。ここ10年ほどでフレンチレストランも増加。また、茶道をたしなむ人が多いためか、和菓子屋さんもそこここにあります。

文化に関する意識も高く、2007年に改装オープンしたシンフォニーアンダンテ荻窪(旧杉並公会堂)は昭和32年のオープン当時は東洋一の文化の殿堂とまで評される、充実した設備を誇っていました。現在も地下2階、地上3階に1200席ある大ホールを備えた堂々たる姿は街のシンボルのひとつです。

地元で音楽を楽しみたいという意識は2000年にスタートした荻窪音楽祭にも生かされています。これは年に2回、小学校や保健所など区内20ヶ所を利用して開かれるもので、ボランティアが支える地元密着型のイベント。「中でも天沼教会のパイプオルガンコンサートは荘厳ですてき。毎年、楽しみにしています」とは、生まれも育ちも荻窪というUさん。残念ながら、平成24年開催の25回から年1回秋の開催に変わったものの、街の人々に愛される存在であることは確かです。


下町っぽい駅周辺、お屋敷街は徒歩10分以遠

北口の前を走る青梅街道。通り沿いにはオフィスビルが建ち並ぶ
街の表情を見てみましょう。荻窪のメイン出口は北口、南口。北口側は出るとバスターミナル、そしてその向こうに青梅街道が走り、駅の脇には「ルミネ」、「タウンセブン」と荻窪暮らしには欠かせないショッピングビルが並びます。なかでも「タウンセブン」はかつての闇市だった場所で、当時からの店もあり、特に生鮮食品売り場の活気には圧倒されます。こちら側のターミナルからのバスは井荻や石神井公園、長久保など西武新宿線、西武池袋線方面に向かいます。

南口は個人商店が並ぶ商店街。駅近くには小規模なマンションが
通り沿いにはビルが多いものの、青梅街道を渡って奥に入ると、細い路地の商店街や古いアパートなどが並びます。駅周辺はいたって庶民的な雰囲気で、小さな飲食店ばかりの商店街などもあります。

反対側、南口は個人商店中心の商店街、飲食店街が並ぶエリア。商店街を少し横に入ると小規模なマンションやビルが多く並んでいます。車の入れない細い道もあり、1日中人通りが絶えない活気のあるエリアです。

駅から離れるほど大きな屋敷が増える。日当たりのいい庭のある邸宅も少なくない
では、お屋敷街はどこにあるのでしょう?賑やかな駅周辺の雰囲気から離れること、徒歩10分以上。主に上荻、南荻窪3丁目、4丁目あたりがメインのお屋敷エリアです。

環八を渡ってさらに奥になりますから、場所によっては10分どころか、もっと歩くことにも。そのためか、自転車利用が多いようです。ただし、駅に向かっては下り坂なので、帰りはつらいかもしれません。


それでは、気になるこの街の住宅情報を次ページで見ていきましょう。