2ページ目 【迷走するネパールの近代政治、その歴史とは】
3ページ目 【民主政治と国王独裁を繰り返すネパールとマオイストの台頭】
【民主政治と国王独裁を繰り返すネパールとマオイストの台頭】
王室クーデターとパンチャヤット体制
山岳地帯で微笑む子どもたち。彼らの年間所得は1万円あるかないかというところだろう。この問題をよそに、ネパールの政治は権力争いに終始した(Photo:(c)ALPINE PHOTO GALLERY) |
そして政党なき議会制=パンチャヤット体制を築き、事実上の絶対王制復活を行いました。パンチャヤットは国から地方レベルまで4つのレベルに分かれていて(のちに3レベル)、国家パンチャヤットは、国王が選ぶ議員と、下部パンチャヤットによって選出された議員から構成されていました。
パンチャヤット制の脅威はなんといっても都市層を中心とした旧政党勢力でした。マヘンドラは、「村へ帰れ運動」を始め、教育を受けたものたちは農村での奉仕活動が義務づけられました。
こうして、ネパールの近代化はさらに遅れることになりますが、日本を含む先進国の人々は、この時期のネパールの様子を「ヒマラヤのふもとにいる国王を中心とした牧歌的な国」としか認識していませんでした。
1990年の民主化
マヘンドラ国王が死去し、ビレンドラ国王の時代になると、パンチャヤット体制は徐々に後退していきました。政党勢力は外部から徐々にパンチャヤットに侵食していきました。反政府運動も活発に行われました。89年、会議派が大規模な運動を開始すると、会議派と疎遠だった左翼勢力も共闘を宣言、大規模なデモに発展しました。これはまたたくまに全国に波及、結局国王は複数政党制への移行を宣言、パンチャヤット体制は廃止されることになりました。
こうして1990年、議会主義をうたった新憲法が制定、91年総選挙。会議派が過半数を占めて政権を獲得。94年総選挙では左翼勢力が結集した共産党が少数ながら第一党として単独政権を樹立。
こうして、ネパールの議院内閣制は根付いていくかに見えました。
マオイストの台頭と「謎の国王一家殺害事件」
マオイストの拡大は著しく、その実行支配地域はネパール国土の40%とも50%ともいう。背景に大きな貧困問題が存在することはいうまでもない |
しかし、有力なリーダーを欠いた政党政治はまたしても混乱し、そんななか、共産党から毛沢東主義者=マオイスト(日本の新聞では「毛派」と表記することが多いですね)たちが離脱、農村で武力闘争を行うようになりました。
彼らは凶悪なテロリストとも、あの毛沢東のように現実離れして暴力的な武装集団ともいわれますが、全容はなかなか明らかになりません。ただ、そのような集団であったとしても、彼らを受け入れる場所はありました。
それは、貧困に悩み、民主化の恩恵など全く受けていない山岳地帯の農村だったのでした。
そんななか起きた2001年の国王一家殺害事件は、いろいろな「陰謀」がささやかれることになります。
つまり2001年6月1日、王宮での集会にディペンドラ皇太子(前国王)が複数の機関銃を持って乱入、国王を始め次々と王族を殺害し、最後は自分も自殺を図ったというものです(ディペンドラは意識不明のなか数十時間だけ国王として即位し、死亡)。
はたしてこれはディペンドラの行ったことだったのか。複数政党制の進展に対し危機感を抱いたものの犯行ではなかったのか。そして、それは国王の弟、ギャネンドラではなかったのか……こんなことがささやかれましたが、真偽ははっきりしていません。
しかし、この場にいなかった(それが疑惑の原因なのですが)ギャネンドラが国王に即位、2002年にはマオイストとの闘争のためという理由で「非常大権」を行使、直接統治制を導入してしまいました。
2003年、闘争の末、一時政府とマオイストは和平に向けて動き始めました。しかしこれは失敗。マオイストは中西部の地区を支配下においていきました。
そして再び……
カトマンズの子ども。この少女のあどけない微笑みを絶やさないために、日本人ができることは何だろうか……(Photo:(c)ALPINE PHOTO GALLERY) |
結局、主要政党がボイコットしたまま、まず地方選挙の実施が強行。これに反発する運動が、2006年4月になって大規模デモに発展。結局、国王は解散していた下院の復活と、主要政党が推す会議派のコイララを首相に任命することで、収拾を図ります。
コイララ政権はさっそくマオイストと交渉。2006年5月に和平交渉入りを合意しました。……しかし、3度にもおよんだ停戦にもかかわらず続いたマオイストと政府の戦争は終わるのでしょうか?
マオイストたちも軟化してきています。読売新聞のインタビュー(2006.5.10)に答えたマオイストの幹部は「インドのような複数政党制をめざす」と答えています。しかし、同時に「王制を打破し、人民共和国を建設する」ともいっています。
今後は、比較的穏健で、おそらく立憲君主制を目指す主要7政党と、マオイストがどう折り合いをつけるかが焦点になるでしょう。……こういっている間にも、ネパールの人々の大多数は依然貧困に苦しみ、子どもたちが死んでいく状態が続いていることを、最後に付け加えておきましょう。
※「ネパール政治の基礎知識2006」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。
今回はサイトで「世界の山とスキーの写真館」を行っていらっしゃるALPINE PHOTO GALLERYさんに写真素材の提供をいただきました。まことにありがとうございます。大変興味深い写真がまだ満載なので、みなさんもぜひ一度ご覧下さい。
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