今日は非常に簡単な言葉ですが、実は奥が深い「人民」「市民」「国民」という概念について説明していきます。あるときは「市民の社会」、あるときは「国民の代表」、あるときは「全人民の……」これらはなにが違うのでしょうか。
1ページ目 【「人民の人民による……」なぜ「国民」「市民」ではない?】
2ページ目 【「市民」という言葉の歴史を振りかえって考える】
3ページ目 【国民も民族も「Nation」……そのわけは?民族と「エスニック」の違いは?】
【「人民の人民による……」なぜ「国民」「市民」ではない?】
私、ツジのプロフィールからはじまったこの疑問
私のプロフィールを見ると、始めに「市民」と書いてあるわけです。で、「法令により出生をもって日本国籍保有」となってるわけですね。どこにも嘘は書いてないわけですが、「意味がわからん」という人も結構いるわけです。
○疑問1 なぜ「市民」と真っ先にわざわざ名乗るのか?
○疑問2 「市民」のあとに「法令により……日本国籍」日本国籍を持っているというのは強制的、いやだと思っているのか?
……などなど。
さきに本音を言うと……「わたしは一市民」他に答えようがないため
ほんとのところを先にいうと、私はいろんな仕事をしているので、「ご職業は?」と聞かれて困ることが多いのですね。本当にいろいろやっているので。こういう場合、「自由業」と書いてもいいのでしょうが、たとえば三省堂さんの辞書から引用すると「時間や雇用契約にしばられない職業」となっているわけで……かならずしもそういうものに拘束されているわけでもないし、「自由業」というのはどうも複数の仕事の総称というわけでもないらしい。
かのレオナルド=ダ=ヴィンチも困ったことでしょう。彼は絵画を書いてばかりしていたわけではありません。建築もやったし、力学や解剖学などの研究もやってます。ご存じの方は彼が書いた「人力ヘリコプターの設計図」を思い起こすでしょう。
いつしか、ダ=ヴィンチは「万能人」といわれるようになるわけです。いつしか、他のルネサンスの芸術家たちもそうよばれるようになるわけですが、ダ=ヴィンチはまさに「万能人」とよばれるにふさわしい功績を残しました。
しかし、若輩浅学の私が、しかも私自身のことを「万能人」というのは気が引けるので、「一市民」という意味で「市民」と書いたのでした。
これが本当のところで、はい終り、でもいいのですが、せっかくですから、「市民」と「国民」、そして他にもよく使われる「人民」という言葉の意味を、お話しておきましょう。
人は「国民」として生まれるわけではない
人は、人として生まれるのです。当たり前のようですが、非常に重要なことです。つまり、「国民」として生まれるわけではないということです。
え……と思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、もし「人は○○国民として生まれる」のであれば、胎児もまた国民として推定されるべきでしょう。
しかし、実際には、胎児には人間としての権利能力は一部認められる(権利が「推定される」)ことはあっても、胎児であるときから「国民」としての権利を持つ、あるいはそうみなされているわけではありません。
日本の民法では胎児の相続能力の規定があります。しかし、これは「私法」における権利能力であって、公法上の「国民」としての権利能力を与えたものではありません。
公法上の規定は、たとえば日本の場合、以下のような形です。
国籍法第2条
子は、次の場合には、日本国民とする。
一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。
つまり、(1)出生→(2)国民として認められ、権利が与えられる、という順番なわけです。逆ではありません。
同時に「2つの国籍を持って生まれる」ことはありうる?
こういうこともあります。出生をもって、「2つの国の国民となる」人もいるのです。原則的に考えれば、「国民」は、どこか1つの国の国民になることであって、2つ以上の国の国民になることなど、ありえません。1国家だけのメンバー、それが「国民」という意味ですから。
しかし、日本のように「血統主義=日本国民の血統を持てば原則日本国民」という国もあれば、アメリカ合衆国のように「出生国主義=アメリカで生まれればアメリカ合衆国民」という国もあります。
ここで問題が起こります。アメリカに駐在している日本国民の商社マンAさんご夫妻。もちろんともに日本国民。ご夫人がご懐妊され、無事出生しました。
……さて、この子は日本国民として生まれたのでしょうか、それともアメリカ国民として生まれたのでしょうか?
いずれもノーです。日本国民は同時にアメリカ国民にはなれないのが原則だからです。それが「国民」という概念だからです(もっとも、これではいろいろ不都合も多いので、実際には便宜上一定期間までは日米の二重国籍を許し、その後公民権を得る年代までに国籍を「選択」するようになっています)。
このことから考えると、「国民として生まれる」という言葉の矛盾が、浮かび上がってきます。人は出生後、なんらかの法作用によって「国民になる」のです。
さて、ここでみなさんに問題を……じっくり考えてください
……なぜか今回はみなさんを深い思考の闇の中に誘っているような気分です。「わかりやすい政治」なのに。いや、ここを乗り越えていただけると、一気にわかりやすくなるので、辛抱して下さい。さて、1つみなさんに課題をご提供します。
なぜ、かのアメリカ大統領・リンカーンは、かのゲティスバーグの地において「人民の人民による人民のための政治」といい、「国民の国民による国民のための政治」とはいわなかったのでしょうか。
訳の問題ではありません。この言葉の原語は " government of the people, by the people, for the people. "「people」は人間、人民、民衆という意味ですね。国民ならば「nation」を使うはずです。
皆さんが混乱している間に第2問です。イギリス名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命など17~18世紀の一連の民主化革命は「市民革命」といわれます。「国民革命」といわれることがありません。
なぜ、名誉革命・アメリカ独立革命・フランス革命は「市民革命」とよばれ、「国民革命」とはよばれないのでしょうか?
……さあ、30分位画面の前で唸ってみて下さい。その間に私は次のページを書いておきますので……。