【イスラムは好戦的か──聖戦(ジハード)とは】

あのいまわしいテロ事件も、イスラム教徒にしてみれば神のために行われた「聖戦(ジハード)なのだ」・・・そんなふうなことを聞いて、やはりイスラム教徒はこわいなあ、と思ってしまった人、多いのではないでしょうか。

あまり知られていないのですが、もともとジハードとは「努力」の意味。つまり、神アラーの教えが世界に広まるように努力することをいうわけです。そしてそのなかで、イスラム教を非難したり攻撃するものたちに対しては、戦うこともやむを得ないとされているわけで、これが聖戦です。

ですから、異教徒がいるからといってむやみに戦うことは許されません。「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え」(コーラン第2章)とあるように、あくまで挑まれて行うもの。「侵略的であってはならない」(同)とされているのです。

そして、「だがもしかれらが(戦いを)止めたならば,悪を行う者以外に対し,敵意を持つべきではない」(同)。無制限な戦いを禁じているのです。

このような「いい戦争」「よくない戦争」の区別は、オランダの法学者で「国際法の父」とよばれたグロティウスの考えと似ています。

彼は近代初頭、「正当な理由、誘発された原因がない戦争は野獣の戦争、誘発された原因があっても正当な理由がない戦争は盗賊の戦争」とし、「正しい戦争のきまり」を国際法として普及させようとします。このような考えが、イスラム教ができた7世紀にもあったわけです。

このような考え方からすれば、空爆に対する抵抗は「聖戦」にあたるかもしれませんが、そもそもの原因となったテロリズムに関しては、実行犯たちのまったくひとりよがりの「聖戦」なわけで、きちんとしたイスラム教徒であれば、ほぼすべての人が否定するはずです。

むしろヨーロッパの近代国際法思想よりも数百年前に侵略戦争を否定していたイスラム教の先進性をみならったほうがよさそうです。

さて、このようにイスラム教についていろいろ見てきましたが、最後に次のページで、なぜイスラム教社会の多くが民主的でないのか、考えてみたいと思います。