江戸の町づくりで特筆すべきは、風水の考えに基づいて京都に模した町づくりが行なわれたこと。富士山から流れ出す5本の龍脈が交わるといわれる江戸城の整備が完了したのは1636年 (寛永13年) のことです。また三代将軍家光公の命を受けた天海僧正により、江戸の鬼門を守る 「寛永寺」 が1625年 (寛永2年) に建立されました。東の比叡山という意味で、正式名称は 「東叡山寛永寺」 。寺の敷地は36万坪にもおよび、現在の上野公園一帯だけでなく北はJR鶯谷駅付近から、南はJR御徒町駅付近 (松坂屋付近) にあった黒門まで広がる広大な境内だったようです。
寛永寺の本堂は明治12年に川越にあった喜多院の薬師堂 (1638年:寛永15年築造) が移築されたもの。元の建物は1868年 (慶応4年) に彰義隊を全滅させた官軍の手によって焼き払われた。
江戸時代に寛永寺境内に建立された大仏は高さが6.7mあったという。関東大震災と太平洋戦争を経てお顔だけが残った。
鬼門の寛永寺に対して、裏鬼門を守るのは芝の 「増上寺」 (1611年:慶長16年完成) です。寛永寺と増上寺はいずれも徳川家の菩提寺とされ、歴代将軍の墓は交互に納められているとのこと。また、どちらにも一角に徳川家康公を祀る 「東照宮」 があります。
増上寺は寛永寺よりも14年早く完成し、その敷地は20数万坪あったとのこと。近くには東京23区で最大級とされる芝丸山古墳もある。
上野東照宮は江戸時代、庶民の参拝が許されない幕府の聖地だった。一方、芝東照宮は江戸時代に増上寺安国殿だったものが、明治政府の神仏分離により東照宮とされたもの。 〔左:上野東照宮、右:芝東照宮〕
さらに江戸の周囲を守るため、目黒不動 (目黒区・竜泉寺) 、目白不動 (豊島区・金乗寺) 、目赤不動 (文京区・南谷寺) 、目青不動 (世田谷区・最勝寺) 、目黄不動 (台東区・永久寺) が設置されました。
※ 寺の移転などにより現在の場所と異なるところがあります。 |
ところで江戸の町とは、いったいどのあたりのことをいうのでしょうか?
壱頁 ≪江戸の歴史≫
弐頁 ≪風水による町づくり≫
参頁 ≪江戸の町ってドコ?≫
四頁 ≪江戸幕府による正式見解では?≫
五頁 ≪霊感のツヨい人へのオマケ≫
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