日本のウエディングの歴史に燦然と輝く裕次郎&マコの結婚式
大正時代になると、自宅での結婚式はますます少なくなり、一般にもホテルや料理屋での結婚式が増えてくるようになりました。しかしながら、昭和になって、満州事変が勃発。昭和16(1941)年には太平洋戦争が始まりました。戦時中は経済も困窮し、まともな結婚式は行えるべくもありません。新郎は国民服に戦闘帽、新婦はうわっぱりにもんぺ、防空ずきんを持って結婚式に臨み、三三九度の盃を交わすぐらいだったといいます。
昭和20(1945)年に戦争が終結し、2~3年も経つと、日本の経済もようやく復興の兆しを見せ始めます。日本初の総合結婚式場として明治記念館が誕生したのは昭和22年のことでした。明治記念館でウエディングケーキが登場したのは昭和23年。洋食の披露宴に限ったもので、希望者も半分程度しかいなかったとのこと。
戦後の10年間で日本経済は目覚ましく回復し、人々の生活も豊かになってきました。昭和31(1956)年度の『経済白書』には「もはや戦後でない」との記述もあり、高度経済成長への道をたどり始めるのです。
戦時中は限りなく質素だった結婚式も、日本の経済が復興するにつれ、だんだんと華やかに、贅沢になっていきました。そして、昭和30(1960)年12月2日、ビッグスターの結婚式が日本中を沸き立たせたのです。石原裕次郎と北原三枝(荒井まき子)の人気スター同士の結婚式は、いままでにない豪華なものとなりました。
この結婚式で登場したウエディングケーキは9段重ねで高さ1mにも及ぶものだったとか。てっぺんにはふたりの人形が飾られました。4人の菓子職人が3日がかりで作ったもので、費用は7万円とも12万円ともいわれています。とまあ、これは当時の週刊誌の記事の情報によるのですが、1mで9段というと、1段わずか11cmくらいですよね。それってちょっと薄すぎるような…? スポンジケーキだと、上部の重さで沈み込んでしまうはずですから、イミテーションだったんでしょうか?
最も高いウエディングケーキはこの人!
これを契機に、芸能人の結婚式ではウエディングケーキの高さを競うようになります。なかでも高かったのが、平成元(1989)年5月31日に行われた五木ひろしと和由布子の結婚式の時に登場したウエディングケーキ。高さはなんと11mにも及んだとか。これって3階建ての建物に匹敵するほどの高さだそうです。
なお、現在、各ホテル・式場で用意しているイミテーションケーキの高さは、最高5mくらいのよう。これは天井が高い会場に合わせて作られているようです。
しかし、ケーキの高さ競争もこの時期をもって鎮静化。その先鞭をつけたのが、昭和62(1987)年6月12日に行われた郷ひろみと二谷友里恵の結婚式。この時に登場したのは友里恵さんお手製のウエディングケーキだったのです。週刊誌によれば「ケーキの高さで披露宴の価値を計るのはイヤ!」だったそう。
ちなみに、郷ひろみといえば、必ず引き合いに出されるのがかつての恋人、松田聖子ですが、昭和60(1985)年6月24日に行われた彼女の最初の結婚式の時には、1000万円をかけてウエディングケーキを作ったといいます。高さこそ5.7mと低め?ですが、周囲にらせん階段とイルミネーションが飾られ、ナイフを入れると噴水が出たとか!
このほか、印象に残ったウエディングケーキといえば、貴乃花と河野景子さんの結婚式(平成7年5月30日)の時のシュガーケーキ。これは確か河野さんが今田美奈子お菓子教室に通って、手作りしたもののはず。また、西城秀樹の結婚披露宴(平成13年7月7日)にはクロカンブッシュが登場しました。