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対談 ~エノテカノリーオ~(2ページ目)

「エノテカノリーオ」の斉藤典生シェフとの対談記事です。シェフが料理をはじめたきっかけや、普段は聞けない裏話などを、こと細かくご紹介します!

執筆者:来栖 けい


料理人を志したのは30半ば!

─シェフが料理をはじめたきっかけはなんですか?

斉藤:私は35歳から料理を始めたんですよ。それまで調理経験はなし。人より10年遅れているんです。最初は、レストランチェーンのサービスをやったり、店舗企画とか店舗開発の仕事をしていたんです。独立してお店も出しました。中央線沿線で10軒くらいつくるのを目標に。

来栖:最初が荻窪のお店ですか?

斉藤:そう。それからすぐ西荻窪、阿佐ヶ谷、荻窪にもう1軒、で4軒作ったんですよ。

来栖:それは「エノテカノリーオ」という名前で?

斉藤:いや、まったく違う名前。「ポモドーロ」といいます。結局、みんな言うこと聞かなくなっちゃうんだよね。だから、暖簾と名前をあげちゃいました。

来栖:今でもお店あります?

斉藤:西荻窪に1軒残ってますね。

来栖:「エノテカノリーオ」をはじめたのはいつですか?

斉藤:ノリーオにしたのが、38歳くらいの時。ずっと荻窪でやっていて、その後荻窪から神楽坂に移転。そして1年くらいしてから、こちら(四谷三丁目)に移ってきたんです。

来栖:確か、ここをオープンしたのって、ボクが最初に出した本(美食の王様 究極の167店 珠玉の180皿(筑摩書房))の発売日だったんですよ。2004年12月10日。偶然ですけどね。荻窪を38歳の頃にオープンしたっていうことは、結婚した頃ですか?


フランス産鴨胸肉とルッコラのサラダ バルサミコ風味
「フランス産鴨胸肉とルッコラのサラダ バルサミコ風味」。ランチの前菜です。
斉藤:そうですね。荻窪の時は、12席で、カウンターが8人のテーブル4人。アルバイトを雇って、料理はおまかせでした。でもそうすると、自分の食べたいものしか作らなくなってしまう。それじゃダメでしょう?そこで、いかに自分の特徴を出すか、と考えた時に、閃いたのが前菜にサラダを使うことなんです。イタリアンじゃ、葉っぱものは重要じゃない。でも素材には絶対の自信があったので、イケると思ったんですよ。前菜は特に、それぞれのお店の特徴が出ますからね。

来栖:ボクが、今のこのお店じゃなくて、はじめて神楽坂時代のお店に行った時も春だったんですよ。それで、この時に出た野菜の前菜でノリーオにハマったんです。

斉藤:例えば、たらの芽、菜の花、チコリ、アスパラ、そら豆、タンポポの葉etc…。そういうものを入れて、塩コショウとビネガーとオリーブオイルだけでからめて。春野菜のサラダだよね。早春野菜のアンティパスト。うまいんだよね。

来栖:はっきり言って、素材が良くないと絶対にできないものです。しかも、使ったのが全部緑色の野菜なんですけど、それぞれ緑の色が違う。見た目もきれい。それを食べた瞬間、「なんだこれ!?」って。

斉藤:やっぱり日本人なんだね。前菜に野菜がほしいじゃない。葉っぱもの。とりあえず、ビネガーとオリーブオイルと塩コショウしかないんだから。野菜も強くなきゃダメでしょ。

来栖:前に、ボクの「スイーツ」の本でも紹介した、「パティスリー スリール」の岡村シェフが言ってたんですよ。彼は、元ロオジエ(銀座のグランメゾン)のシェフパティシエだったんですけども、その時のエグゼクティブシェフだったジャック・ボリーさんに、次のような質問したらしいんです。「優れた料理人の条件は何ですか」って。そしたら彼は、「おいしいサラダとテリーヌを作れること」と言ったらしいんです。それはつまり、基本中の基本のものをおいしく作れないようじゃダメ。それをおいしく作れるのが、優れた料理人だということですね。だから、サラダがおいしいところは、何を食べてもおいしいんですよ。ここもサラダに感激しただけあって、その後のパスタとかメインも美味。やっぱり、その言葉は間違いじゃない、と思いましたね。


次ページは、シェフの実家から送られてくる最高のルッコラについて。
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