<目次>
連絡を待つ力の効果とは? 頑張るほどに、離れていく彼の心
恋愛の可能性を信じて、待てる女とは。
「何もせずに、ただ、待ってごらんよ。彼を好きだという自分の気持ちを信じて、待っていると状況は必ず好転すると思うよ」
当初は、「待ってるだけじゃ、ダメでしょ。時間だけが流れて、距離が離れてしまうだけだ……」と思った。とはいえ、メールを打とうと、電話をしようと、彼からの返事はない。もう、待つしか術がなくなった。半ば、あきらめたとも言う……。
「待つことは無力じゃない。ひとつの力なんだよ」
とセラピストの友人。その言葉の真意は分からなかったけれど、さんざん、思い悩んで疲れ切ったせいか、それもそうかもしれないと素直に思って待ってみることにした。
それから、3カ月後、
「実は仕事もかねて海外に行っていたんだ」
と彼から、電話があった。私が何もしなくても、待つ時をへて、状況はたしかに変わっていた。
恋愛がうまくいかない時。人は、「とにかく行動せねば!」と思いがちだ。私のように、とかくせっかちで力みがちで心配性な女なら、なおさらのこと。彼の気持ちを手に入れたいとか、留めたいと思うがあまりに、「できるだけ早く」「できることは何でもせねば」とアセってしまう。 でも、思い返してみると、恋愛におけるその手の頑張りは往々にして空回りすることが多くないだろうか?
追いかければ追いかけるほど、彼の心が離れていくのはどうしてだろう?
たとえば、「今度は、いつ会える?」と彼に聞いたら、「まだ、分からない」と突き放された時。「来週は? 来月は?」と必死になって約束をとりつけようとしても、無意味だったりする。彼の“約束できない(したくない)気持ち”を尊重せずに、約束しても、そこに彼の想いはないからだ。
たとえ、「じゃあ、来月あたりに……」という形だけの約束をとりつけたところで、それが本当の意味で(愛情をもって)果たされる可能性は薄い。
何もしないで「待つ」ことこそ、恋の特効薬
待てない女の弱さは、言葉にせずとも、男には届いてしまうもの。
以前から、何となく気付いていた事実なのに、なぜ、女にとって「待つこと」はこんなにも難しいんだろう?
思うに、それは、彼のことと自分のことを信じきれないからだと思う。愛情よりも、根底にある信頼感の無さや自分の中の弱さが、彼のもとに届くから、ますます彼の心が遠のくのではないかと、思う。すごくシンプルな構造として。
「待つこと」は、その瞬間の彼や状況をありのままに受け入れること、信じることと等しい。難しいけれど、人を愛する上ではとても大切なことだ。
たぶん、“待てる女”になれた時、今までとは180度異なる恋愛ができる人は多い気がする。
「待つ力」は、今、恋人がいない人、本物の恋人をとめぐりあいたい人にとっても必要だ。
恋人がいない人たちに向かって、「とにかく出会いを求めて行動しいなきゃ!」「人に会え!」と指南する恋愛本は後をたたないしし、私も長年友だちがいない30女の友人に向かって、「自分から動かなきゃ!」とおせっかいに叱咤激励することもある。
恋愛エネルギーの無駄遣い
出会いの場に出会いはあっても、本当に求めているものはなかったりする。
小奇麗で女らしい装いをして、たくさんの人の前に出続ければ、どんな30女でも、たいてい声はかけられる。とりあえず、自分を気に入って言ってくれて、自分もまあまあ惹かれる男の人とのデートだって、わりとすぐにできる。それが久々のデートならば、瞬間のウキウキも味わえるかもしれない。けれど、3回目のデートでふと気付く。これは、本当に自分ののぞんでいた恋愛だっけ?
“恋がしたい気分”は満たせても“深いところで人を想いたい”“パートナーが欲しい”という願望は、そう簡単には満たせない。自分なりに恋のキャリアを積んできた30女なら身に沁みて分かる人も多いはず。もちろん、やみくもに撃って命中した相手と、芯のある恋愛を育めることも、まれにあるだろうけれど--。
やみくもに動いて人に会って頑張っていても、ただ、疲労困憊してしまう。
恋愛における「待つ力」の偉大さ
待てる女は、いい恋愛を征する。
私にもあった。恋愛がドロドロしていただけじゃなく、仕事も家族もすべてがうまくいかず、孤独にさいなまれていた時期。「新しい恋愛がしたい」「人恋しい」と切実に思っていたものの、どうしても、動けなかった。仕事がら、人にはたくさん会っていたし、いろんな交流はあったけれど、本当のところ、誰にも何にも心を開けなかった。そういう自分が怠惰で勇気がないように思えて、恋っぽいものに身を投じてみるものの、根底のところでは心が動かなくてもっと落ち込んだ。うたかたの恋でも、楽しめたらいいのに、それすらも楽しめなかった。
それでも、時間が流れるうちに、日々を積み重ねるうちに、ゆっくりゆっくり元気になっていた。
無自覚だったけれど、あの頃、私は自分が再生するのを「待っていた」んだと思う。
最初は、動いているのか止まっているのか、分からないくらいのんびりとした速度で、次第に心地よいリズムで、再生していった。
再生した後は、ひとかわむけたみたいに心が軽くなった。少しづつ自然と、自分のまわりに好きな人が集まってきた。相手に素直に心を開くこと、深く心を通わせるということの大変さとよろこびみたいなものが、以前よりも、少しだけ、でも確実に実感として得られるようになっていた。
よく「恋人が途切れない人」がいる。うちの妹とか、一部の友だちもそういうタイプだ。次々に素敵な恋愛関係を育めることもあるだろうし、そういうタイミングで強力な恋人と出逢う運命だってあると思う。私だって、毎回、長く間が空くとも限らない。
でも、何となくの相手ではなく、心の底から自然とコレだ!と思える人とめぐり逢えることなんて、そう多くないとも思う。そして、そういう人と出会うには、運命とかチャンスだけじゃない、自分のほうの心の準備も必要だ。
「とにかく恋がしたい」という欲望にエネルギーを費やして消耗していたら、本当にコレだと思う相手に出逢った時に、気付けるだろうか? また、気付いたところで全力をそそげる?
本物の恋愛は、眠り姫のように待て?
ただ、待つだけじゃない。自分の心身の準備を整えてポジティブに恋を待ちたい。
ただ、ボンヤリと待つのではなく、
本当にいい相手にめぐり逢うまで、自分の心身を育てながら、準備を整えながら「待つ」。
素敵な相手にめぐり逢えたら、彼の想いを尊重し、信じながら、愛が育つのを「待つ」。
「待つ力」はもう、本物しか欲しくないと思う30女の恋愛にとって不可欠なものだと思う。
恋愛が袋小路に入った時は、無理にあせらない、動かない。眠り姫になったつもりで待ってみよう。待つことは苦しいけどね、その後のよろこびを信じて。
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