相手を思うあまり長文を書いてしまう人
メールを丁寧に楽しげに返すことは大切なこと。適度であれば知性も感じられるし、粋を感じることもあります。でもこれもTOOMUCHになっては“裏目街道”まっしぐら。その中身が客観的な情報伝達のための長文ならまだしも「自分のこと」について「私ってこうだから」的な自己PR長文になるのはNGです。
さらには「こうあるべきだよね」などのあるべき論の羅列は圧迫感を相手が感じてしまいます。「この人・・・話を聞いてくれる人がいないのかな?」と想像させてしまいます。・・・と、同時に「自分が仲良くなったら、いつもこうやって脈略のない、長文を読まさせられたり、マシンガン&ダラダラトークを聴く羽目になるのかな?」と警戒させてしまいます。積極的なアプローチは良いのですが、あまり「マイセルフ」なロングトーク、そして長文は“裏目街道”まっしぐらになってしまいます。
ブラックユーモアに性格の悪さ、粘着気質が見えてしまう人
誰かがいつ、何をした…そんなエピソードを話しながらブラックユーモアにつなげたがる人がいます。しかしこのちょっとSな落としの部分に注意。この落とし方はその人の性格の癖がでます。カラッと豪快に落としたり、クスっと笑える方向に落としたり、関西風のフランクな落としができれば余韻爽やかにまとまるのですが「“はいはい、○○で悪かったですね~”って感じですよ(卑屈風)」「常識がないと思いませ~ん?(あるべき論、押しつけ系)」「もう私キレちゃって・・・(その程度でキレるんかい?度量の狭さ露呈系)」「もう大人なんだし、そんなの意味ないと思わない?(打算的ホンネの露呈)」といったのはたとえ話力があっても“裏目系”に転ぶ可能性があります。
続いて最後のページになります。「知的に見せようとするあまり“キャッチボール”が喧々諤々パターン」についてお送りします。