パートナーの親族と一気に会う機会でもある

祖母の葬儀では、多くの親族や、家族・故人の知人に会いました。

私たちはスイスでは結婚式をしなかったので(ごく近い親族でのお祝いだけ)、初めてお会いする親戚の方がたくさんいました。
また、両親や夫も、久しぶりに会ったという従兄弟や伯父・伯母がけっこういたようです。こういうところは、日本もスイスも同じだなあと思いました。

このように、葬儀というのは、悲しくつらい席ではありますが、ふだん(ましてや別の国に住んでいたら)なかなか会えない親戚に、一気に会える機会でもあります。大切に、心してのぞみましょう。

【アドバイス】
親族が多い場合は、事前にパートナーに家族の系図などを描いてもらっておくといいかもしれません。私は、個別にはいろいろ聞いていましたが、それが全部つながらなくて困りました。名前も覚えづらかったし……。
系図と名前を書いておいてもらえばよかったと、後から思いましたので。

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こうして義理の祖母の葬儀は終わりました。
祖母の場合、長いこと入院していたし、だんだん弱くなっていったので、家族は心の準備ができていましたが、これが突然の出来事だった場合、言葉にできないほどショックなものがあります。そして、そのとき自分が外国にいたら……。
私の父の場合がそうでした。

続きは続編で……。



先日、夫の祖母が他界しました。(→記事「外国にいる家族の突然の死。その時あなたは」参照)
私はこれで離れた国に住んでいる家族を2人亡くしたことになります。1人目は父でした。義理の祖母のときとは違って、その死は突然やってきました。
 

外国に住むという覚悟

この空は日本に続いているのに、すぐには飛んで行けないもどかしさ……
外国に住んでいるときに、誰もがいちばん恐れることは、離れている家族に、突然何か良からぬことが起きるということではないでしょうか。予期せぬ事故や病気、または思いもかけない死など……。

そんなこと考えたくもないけれど、でも、自分の身には決して起こらないとは、誰も言い切れないのです。

私もそうでした。カナダの永住権を取りたいと思い、そこで生きていくこと決意したときから、親の死に目には会えないかもしれないという恐れと覚悟を、心のどこかにずっと持っていました。

日本では“親の死に目に会えない”ということは、イコール“親不孝”という考え方が古くからあります。「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信もありますからね。

余談ですが、この迷信は、昔まだ電気がなかった時代に、夜、暗い行灯のもとで爪を切ると深爪しやすく、そこから思いがけない病気になったりするので危ない、という戒めだったようです。“親の死に目に会えない”とは、親が亡くなるときにその場に立ち会えないことだけでなく、自分のほうが早く死んでしまう場合も指しているのですね。“親より先に逝くのは最大の親不孝”とも言いますから。

親の死に目に会えることだけが親孝行とは思いませんが、できれば最期の瞬間には立ち会い、見送ってあげたいというのが、子の本心なのです。


■恐れていたことは、突然、思いもかけない形でやってきました……