結婚の意志を話すタイミングを見計らう
2人のなかでは将来への気持ちはかたまっていましたが、まだ親に話す段階ではないと思い、お付き合いしているということだけ伝えました。変に刺激したくなかったし、私たちの年齢のことや、当時まだ彼が大学在学中ということを考えると、この時点で話したら親が悩むであろうことは目に見えていましたから。やはり結婚となったら心から同意してもらいたいし、祝福されたいものです。だから、時間をかけて彼のことをもっと知ってもらい、私たちの気持ちも分かってもらおうと思っていました。何よりも、もう高齢の域にさしかかっている両親に余計な心配をかけたくなかったのです。そこで、しばらく時を待つことにしました。
うちの両親は、面と向かって子供に何かを言わないタイプ。だからその時、私たちの交際に対してはほとんど何も言われませんでしたが、何を考えているかは薄々分かりました。付き合っているということだけでも、相当な精神的負担をかけていたはずです。反対されて決意を変える私ではないし、もうそんな年齢ではありません。親もそういう私の性格を充分承知していますから、それで何も口出ししなかったのだろうと思います。
結婚の同意を得る前に逝った父
しかし、今から思えば、時期尚早だったにしても、あの時、将来結婚するつもりであるということを、父に話しておけばよかったと思うことがあります。私たちが実家をあとにし、一緒にカナダに戻った、そのわずか5日後、心筋梗塞のために父が急逝したのです。今思えば、乗り気ではない交際相手を泊めて歓迎してくれたことに対して、感謝の気持ちもちゃんと伝えればよかった。私もまた、親には面と向かって気持ちを言わないタイプなのです。なんとなくテレもありますしね。親を亡くしてみると、あの時こう言えばよかった、このことを話せばよかったという後悔は、思いのほか多いような気がします。
2年後の結婚式のあとに、母から「でも、お父さんは本当は賛成していなかったんだよ」と言われました。特にショックでもなく、「やっぱりね」と思いました。 父は、私には直接何も言わないで、母にだけホンネをこぼしていたのです。母のホンネも当時はおそらく父と同じだったので、やはり私には言えなかったのでしょう。やっと私に伝えられるようになるには、2年の歳月を必要としたのです。
私たちの交際について、父が残した言葉が1つだけあります。それは私たちがカナダに戻る日のこと。父が最後に私に言った言葉は「ま、好きにしてくれ」でした。投げやりですよね~。勝手にしろということです。
そりゃあ「もう帰ってくるな!」とか「今度くる時は絶対に1人で来い!」と言われるよりはいいのかもしれませんが、娘としては、そんなに無関心でいられるのも悲しいものです。この時、私の心の中で“作戦開始”のスイッチがONになりました。ほとんど実行に移さないうちに無用になるとも知らずに……。
カナダに戻ってからすぐ、彼を歓待してくれたお礼とその時の真摯な気持ちを綴って送ったFAXレターを贈りました。