会計事務所から、カフェ開業の目標を立てて
小学生時代の将来の夢は、「会計士でした」と吉見さん。尊敬する父が会計士として活躍しており、学生時代を終えた吉見さんは、すぐにその会計事務所に就職します。
「そこで25歳まで仕事をしていたのですが、しっくりこないし、面白くない。どうにかして好きなことをやれる職業はないかと悩んでいたとき、自分の顧客リストに喫茶店があるのを思い出して、喫茶店なら儲からないけれど、がんばればなんとか生活していけると考えました。バカでしょう(笑)」
これまでの実績と将来の安定を捨てて、一からカフェでアルバイトを始めるという吉見さんに、もちろん父親は大反対。しかし吉見さんはそれを押し切って退職し、30才を目標に自分のカフェを開く計画表をつくり、半年ごとに勉強するテーマを決めて取り組んでいきます。
「いろいろなコーヒーの本を読んで勉強しましたが、自分で実際にやってみると、本に書かれていることと結果が違う場合がけっこうあるんです」
それからの吉見さんは、実験をおこなってデータをとり、また実験を繰り返す日々。人から教わったことをうのみにするのではなく、とことん実践して納得できるかどうかを見極めてからではないと、自分の淹れるコーヒーに気持ちがこめられないと考えたのです。
膨大な実証データを積み重ねて自信を得た吉見さんですが、やがてポール・バセットとの出会いに衝撃を受けることになります。
ポール・バセットのチーフバリスタとして
ポール・バセット・ジャパン設立のとき、入社時の面接試験で吉見さんは社長にこう宣言したそうです。
「6ヶ月後には独立して自分のお店を立ち上げますが、ポール・バセットの技術や理念には凄いものを感じるので、入社したら6ヶ月間は命を賭けます」
その強気と熱意が評価されたのでしょうか、採用された吉見さんはポール・バセット氏から直接指導を受け、チーフバリスタとして活躍していきます。その体験は驚きの連続。
「ポールがエスプレッソを抽出するのを見て、『この人、本当に世界チャンピオンなの?!』と思いました(笑) 彼は当時の常識ではありえないことをしていたんです。でも、完成した一杯を飲んでみたらおいしくて、それまでの自分は井の中の蛙だったと思い知らされました」
ポール・バセットに尊敬の念を抱き、その姿勢や技術を吸収していった吉見さん。いったんポール・バセットが帰国し、3ヶ月後に再来日したときのレクチャーで、吉見さんは再び衝撃を受けたそうです。
「前回のレクチャーと全然違うんです。見た感じの作業は大きく変わらないけれど、テクニカルな部分は極端に変わっていました。そしてやはり、飲んだらおいしかったのです。何よりも衝撃だったのは、世界チャンピオンなのにそこまで変えられる、ということ。普通なら経験や実績を大事にして、そうそうはスタイルを変えません。でも、彼は平気でころころと変える。いいと思ったら、やるんです。その行動力に打ちのめされました」
そこから、吉見さんのコーヒーに対する考えが一気に変わったそう。
「それまでは正直、考えが固かったんだと思います。豆の産地や品質うんぬんと難しく考えていましたが、ポールを見ていると、最終的に一杯のカップの中に表れる結果こそがすべて」