コーヒーカップの中の断絶
ドキュメンタリーの手法をとったこの映画は、コーヒー発祥の地エチオピアで貧困にあえぎながらコーヒーを作る人々と、なんとかして彼らを救おうとして立ち上がり、フェアトレード・コーヒーへの理解を求めて西欧諸国を奔走するタデッセ・メスケラ氏の姿を淡々と追っていきます。
コーヒーの取引価格はNYで、大企業にいっそうの利益をもたらすために決定されてきました。生産者に正当な報酬を還元することなく。
その根深い搾取の構造については、これまでにも何冊かの本を読んでおおよその事情は理解しているつもりでしたが、映像の訴求力はより直裁に人々の表情を伝えてきます。
コーヒー豆は、たしかにエチオピアの農民たちの埃まみれの手で作られたはずなのに、イタリアのバールで、illyのオフィスで、スターバックスの店内で、あるいはシアトルのバリスタ・チャンピオンシップ会場で人々がそれを手にするとき、あの絶望的な労働に従事する人々の姿は背景からきれいさっぱり消え失せ、ひとかけらも残っていないのです。 まるで焙煎されるときに不純物として除去されてしまったみたいに。