ラーメン店は数多かれど、これほど熱狂的に愛される店、いやブランドはないのではなかろうか。それが「ラーメン二郎」である。普通にラーメンが好きな人なら「今日はラーメンが食べたいなぁ。どこのラーメン食べに行こうかなぁ?」と考える。しかし、二郎好きは「今日は二郎が食いたいなぁ。どこの二郎を食いに行こうかなぁ?」と考えるのである。この場合に二郎以外の他のラーメン店では代替できないのだ。そういう人達を一部ではジロリアンと呼ぶ。(■ジロリアンとは、何者?)
また、「二郎はラーメンにあらず、二郎という食べ物也」という格言?もある。これは常識的に考える「ラーメン」とはいろんな点で違うからである。いや違いすぎるのである。具を見てもラーメンには当たり前のように入っているネギやメンマがない。代表的な具であるチャーシューの呼び名が“豚”である。「チャーシュー」という呼び名から想像されるものがここ「二郎」では出てこない。“豚”という言葉がぴったりくる肉の塊なのである。
麺は極太の自家製麺。ごわごわしていてこの一点をもってしても「ラーメンなの?」と思う人もいることであろう。総じて麺の量は多い。一玉、という概念があまり正確ではないので(たぶん)麺を茹でる量は目分量である。しかも平ザルなので一人前の量が正確ではない。なので日によって、いやタイミングによって量は変わるのだ。まったくもっていい加減そうだが何人かの二郎のご主人に聞くとその通りいい加減らしい。こういうラーメン屋さんは滅多にない。
「二郎」は若向き、学生向きのラーメンでもある。その量・安さ・脂っこさなどからそう言える。また「二郎」を語る上で避けては通れないのが“呪文”である。出来上がりの直前に自分の好みを伝え、その通りに調整してくれるのである。野菜の増量(野菜増し)、ニンニクを入れるかどうか(ニンニク)、脂を増やすかどうか(脂増し)、タレを加えるかどうか(味濃いめ)、を基本形とする。これらを麺の量、豚の量と一緒に発注するのである。例えば麺の量が小(これでも普通のラーメン店よりも多い)、豚を追加、野菜をのせ、ニンニク・脂・タレを加える場合にはこのようになる。「ショウブタヤサイニンニクアブラカラメ」。出来上がり直前に聞いてくるのですぐ答えなければならないのでこれが早口になる。すると聞き慣れない人には“呪文”のように聞こえるのだ。誰もメニュー通り(つまり、「ラーメン」とか)に注文する人は居ない。知らない人、経験の浅い人にはこれが驚異なのである。かくいう私も初めて三田の二郎に行ったときには注文の仕方がわからず「前の人と同じモノ」と頼んでしまった。そうとしか言いようがなかったのだ。慣れてきてからその仕組み(?)がわかったが今でも自分の番が近づくと頭の中で「ショウブタヤサイ」などと繰り返し、ドキドキしながら待っている。最近では食券器などの導入によって、呪文は短くなり、そう難しくなくなった。
「ラーメン二郎」という看板を掲げる店は東京を中心にもう随分数多くなった。となるとこれはチェーン店か?というとそうではない。確かに似てはいる。共通項も多い。しかしながら各店舗ごとに個性があるのがまた「二郎」の面白いところである。だからジロリアン(二郎大好き人間)によって好きな店が違うし、思い入れも違う。