大作主義は継続・縮小へ
ザブザブと資金を投入したゲームは今後も大量に出るだろうが、確実にサードパーティーの体力を奪いつつある。現在でも、大ヒットしたソフトが一つあっても、その他のコケたソフトに足を引っ張られるケースが目立つ。そんな状態でも一部国内メーカーは「世界をターゲットにした大作」の開発をやめない。開発費が高騰するなら世界でドンと売らないとビジネスにならない、という考えがあるからだ。
海外展開では流通ルートの確保も必要だし、国内より広告費がかかる。海外でソフトを売りたいなら開発費でなく広告費をかけろ、という言葉があるほどだ。これでは国内中小ゲームメーカーでは太刀打ちできない。
そうすると国内デベロッパーはDSi、PSPなどでの開発を増やす以外に無い。
メインプラットフォームで大作を発売し、携帯ゲーム機や携帯電話のアプリで収益を補填するタイプのビジネスモデルが一時期国内で散見されたが、海外展開には弱いため減少傾向にある。
総じて大作は海外展開、国内は携帯ゲーム機がメインという流れになる。
では、国内市場はカジュアルゲームメインかというと、それも少し違う。
カジュアルゲーム=手軽に作ったゲームではない
カジュアルゲームがブームとは言っても、安易な企画で低予算で仕上げたソフトは注目をあびることすら無く沈んでいくことが多い。特にWiiでは、企画を厳選し、時間と予算をしっかりかけた上で作りこまれたカジュアルゲームが生き残るだろう。
圧倒的に売れる任天堂のゲームと、苦労することの多いサードパーティー製のカジュアルゲームの最大の違いはそこである。
ユーザーの目は超えている。ただモーションコントローラを振ると言うゲームではなく、振ることが楽しい、ゲーム性も高い、総合的に完成度の高いゲームではないとユーザーは見向きもしない。
PS3でも同様のことが言える。
グラフィックがいいというだけでは、もはやユーザーの心が掴めない。しっかりとしたコンセプトで、力を入れるところは入れる、省略するところは省略する。そしてやはりゲーム性の高いものではないと受け入れられない。
安易なコアゲーム、カジュアルゲームの定義付けからはそろそろ脱却する必要がある。最後にコアゲーム、カジュアルゲームの将来について考えてみたい。