六本木の交差点
高速の看板「HIGH TOUCH TOWN ROPPONGI」も昔はなかった。 |
昔、誠志堂書店というのが向かい側にあって、僕はここで待ち合わせをすることのほうが多かった。
今はその書店もない。
六本木の交差点に昔なくて今あるのは、灰皿だろうか。
乃木坂で働いていた頃は、昼間もよく六本木にきた。
80年代の終わりから90年代にかけても六本木にはきたけれど、それはたいてい夜であった。
ブームだったディスコも数回は行ったと思うが、あまり好きにはなれず、通うほどではなかった。
と、Eくんがアマンド前に現れた。
きょうはどこへ行くのかと聞けば、ノープランなのだそうだ。
えーっ。
こんな炎天下の中、ノープランで六本木を歩くのか。
「増田さんなりの懐かしい六本木の散歩をしましょう」
と言う。そんなことならあらかじめ言っておいてくれたら調べてきたのに…。
そんな不満を口にすると、
「では、キャンティで食事でもしましょう」
と歩き始めた。
とりあえず、飯倉片町方面に歩き始める。
いやぁ、それにしても暑いねぇ。
かつてのディスコビル
一階に「森永LOVE」があったかつてのディスコビル。 |
20代の頃、知り合いの社長に無料券をもらってここの中にあるサウナに行った記憶があるなぁ。
いまもあるのかしら。
その向かいの「六本木PLAZA」と書かれた六本木プラザビルは、かつて一階に「森永LOVE」というハンバーガーショップがあって、このビルの各フロアにディスコがあったと記憶している。
その先には一晩中やっているカフェ「ジャックアンドベティ」というのがあったが、もちろん今はない。飯倉片町の交差点が見えてきた。手前あたりに「ホット・コロッケ」というレゲエバーがあったなぁ。
というわけで、飯倉片町の交差点を越え、イタリアンレストランの「キャンティ」に到着。一番安いランチでも1800円だ。Eくんと顔を見合わせる。
こんなんだったら、イタトマへ行こうよと提案。
イタリアントマトのほうが安いはずだ。
六本木の交差点に戻る途中、そういえばここらあたりに「天下一」という朝までやってたラーメン屋があったはずだ。何度か食べたことがある。そこをさがすも今はない。
かつてあった六本木食堂
普通の定食屋さんがあった場所。 |
六本木ランチの思い出といえば、六本木食堂である。場所は六本木通りの俳優座の向かい側であった。ご飯を並とか大盛と頼み、あとはそこにあるオカズを取ってレジに進み、お金を払うという、昔ながらの定食屋さんだった。納豆にアジフライなんかを食べた思い出がある。
今もそこにあれば、異色の存在だと思うだろうが、それは当時とて同じで、六本木の交差点にほど近いこんな場所に、こんな定食屋があるのかと最初知ったときはかなりの驚きだった。
しかし、その六本木食堂も今はないない。
さて、その向かい側の俳優座の裏あたりに通称「イタトマ」と呼ばれていた「イタリアン・トマト」があるはずだと探したのだが、ない。
そんなに何度も足を運んだわけではないが、ちょうど90年代に入ったころはけっこうブームでパスタなどを食べに行った記憶がある。ケーキが大きくて、なんだかオシャレなかんじがしたものだ。そうか、イタトマもないんだ。ストロベリーファームはどうだろうか。外苑東通りを渡って、六本木7丁目エリアへ。それもない。なにもないことに愕然とする。
ベルファーレの跡地
今は更地になり新しいビルの建設中であるベルファーレ跡。 |
このエリアにも80年代の終わりから90年代のはじめにかけていろいろなディスコがあった。たしか、照明器具が落下して死傷者を出したのもこの界隈にあったディスコだったはずだ。
Eくんは言葉数も少なく、ボーッと歩いている。あ、少しまずいかなと思った。軽い熱中症なのかもしれない。六本木の夏、とくに昼間は日陰も少なく、直射日光を浴びながら歩き続けるため、夏の昼は散歩に向いていないかもしれない。夜のほうがよかったかな。
と、ここでEくんがご飯を食べましょうかと指さしたのは、チェーンの寿司屋。それなら、「びっくり寿司」へ行こうよ。ちょうどロアビルの前あたりだけど、そうEくんに言うと、
「さっき通ったとき、なかったみたいですよ」
と言う。そこで、六本木交差点の交番で聞いてみた。
若い警官が、奥にいる警官に尋ねている。そしてこちらを向き、
「つぶれたみたいですよ」
と笑顔で言った。
そして、ついにEくんは、それじゃここへ行きますか、と指さした先は…。