神田という名前の響きに江戸を感じる

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神田明神にあった銭形平次の顔出し看板でパチリ!
「江戸っ子だってね」
「神田の生まれよ」
このやりとりは、浪曲「石松三十石船」の有名な一節である。
神田といえば、江戸のなかでも代表的な街である。
しかし「神田」というのは、街の名前だけではなく、もっと広い地域を指す。
それは、明治になってすぐに作られた行政区分に神田区というのがあったからだ。
しかし、この神田区は1947年に麹町区といっしょになり、千代田区となった。
旧神田区に住む人々は「神田」という名前を残そうと自分たちの住む町名の上に「神田」とつけたのだそうだ。
神田といえば、神田明神。その前の通りは神田明神通り。神田明神からの坂をくだったところが、神田明神下。小説、映画、テレビでもおなじみの銭形平次が住んでいた場所だ。架空の人物だが、神田明神には銭形平次の碑や顔出し看板がある。
さて、本日の散歩のテーマは「江戸」である。

聖橋を渡って神田明神へ

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御茶ノ水駅の前にあった案内板。神田明神はすぐそこだ。
「神田」という地名が広域を指すのだというのはしばしばよそ者にはわかりずらい。僕も東京にやってきてすぐに「神田の古本街」へ行こうと思う、当時の国鉄の神田駅で下車し古書店を探したけれど、見つからなかったという思い出がある。
古書街は神田神保町なのだ。
きょうの散歩は、神田明神をスタートするわけだが、これも間違いやすい。神田明神の最寄り駅は神田駅ではない。JRでいえば、御茶ノ水駅なのである。
というわけで、御茶ノ水駅を下車し、聖橋を渡って、神田明神へ向かう。
オールアバウト、プロデューサーのEくんとはここで待ち合わせだ。
少し時間があるので、鳥居横の天野屋さんで甘酒をいただく。

古くからある神田明神

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大正時代に作られた社殿は近代的な鉄筋コンクリート製。
神田明神の歴史は古い。徳川家康が江戸幕府を開くずっとずっと前から存在していたのだ。
社伝によれば730年に出雲氏族で大己貴命(おおなむちのみこと)の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により現在の東京都千代田区大手町にある将門塚あたりに創建されたそうだ。
もともと神田というのは、伊勢神宮の御田があった土地で、全国各地にあった。
ここ神田もそのひとつだったわけだが、江戸時代になって江戸城の増築とともに現在の地に移ってからは、江戸総鎮守として人々から尊崇されることとなる。
江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたそうだ。しかし、残念ながら関東大震災で焼失した。その後、社殿は鉄筋コンクリートで再建される。耐火性のあった社殿は第二次大戦の空襲ではさほどの被害を受けていない。


さて、お腹もすいた。今回は江戸ということで、蕎麦を食べに行く予定である。そのお蕎麦は次ページで!

お茶の水駅から神田明神、秋葉原を通り過ぎて、上野のお山までのコース。