卓球/卓球関連情報

アテネ五輪の報道を通して 五輪卓球つれづれ(2)福原愛(2ページ目)

アテネ五輪の卓球競技を、テレビや新聞などの報道を通して感じたことなどを「つれづれなるままに」記すエッセイ。2回目は、試合がテレビで生放送されるという厚遇を受けた福原愛選手について。

執筆者:壁谷 卓

マンガ(映画)『ピンポン』のなかで、インターハイ王者のドラゴン(風間)がペコ(星野)と対戦します。ドラゴンが、「ああ、ようやく本物のライバルが現れた」とでもいうような恍惚とした表情で「究極のラリー」を堪能するんです。《下がるな》というベンチからのアドバイスにも《ゴチャゴチャうるせえっ! 邪魔するなっ!!》といって耳を貸さない。

つまり、セオリーどおりにやれば勝てるのはわかっている人間が、勝敗という次元を超越して「技の極み」を「楽しむ」んです。高校生同士のこととはいえ、心持ちのあり方としていえば、楽しむというのはこういう次元のことなんじゃないか、という感じが僕にはあるんです。

だから、常勝の選手や、あるいは地獄を見てきたような選手が、悟りのように発する「楽しみたい」ならわかるんですけど、やはり大半の、勝つために努力をつづけている選手が、「結果」と無関係に楽しめることなんてあるんだろうか、と思うんです。草の根レベルの僕ですら、「やるからには負けたら面白くない」と思うのだから。

もちろん、「試合を楽しみたい」というコメントをしたからといって、それが真意なのかどうかはわかりません。そもそもほんとうのことを言わなければならないという義務もありません。ただ、そう言われると、取材者のほうも「結果の目標」を聞くのははばかられるところがあり、なんとなく同調するようになっていき、その結果、「試合を楽しむ」が日本のスポーツ界の「口ぐせ」のように蔓延している気がするんですね。

北島選手と似ていた福原選手の眼の光

だけど「有言実行」タイプとして知られ、その通り2つの金メダルをとった競泳の北島康介選手を見ると、哀しいかな、「楽しむ派」は色あせて見えてしまうんです。北島選手だって、大会前にアメリカの選手に世界記録を破られて、内心はすごく不安だったと思うんです。しかし、そこで「楽しみたい」と言っていたら、彼はたぶん「自分自身」を超えられなかったんじゃないか、と思うんです。

北島選手の何がすごいって、あの獣のようなギラギラした「眼」ですね。自分を超えようと自身にプレッシャーを与えつづけられたからこそ、あの力強い光が宿るんだろうな、と思いました。そして福原選手が、「勝ちにいきます」「楽しむためにきたわけじゃない」と言ったときの眼の光というのは、北島選手のそれと怖いぐらい似ていたように見えたんですね、僕には。
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