■過程への自信
西村ジャパンになって1年後、02年10月のアジア競技大会で女子団体で銅メダル。王者・中国を破って優勝した北朝鮮に1勝1敗という成績を残した。
アテネ五輪までの任期の折り返し点となる03年2月のアジア選手権では、団体で銅メダルのほか、小西杏・福原愛ペアが、日本の女子ダブルスとして30年ぶりの決勝進出を果たし、銀メダルを獲得した。
その3か月後の世界選手権パリ大会では、福原愛が日本の女子シングルスとして14年ぶりのベスト8入り(写真)。ダブルスでも梅村礼・高橋美貴江ペアがベスト8に入った。
日本女子は、節目、節目のビッグイベントで結果を残してきた。
やれることはやってきた。
一歩ずつだが確実に積み重ねてきた。
それなりに結果も出ている。
だから高木と竹内は、「最高のコーチングをしてくれ」という西村の言葉を、上辺の「ハッパ」としてではなく、「これまで積み重ねてきたことに自信をもってくれ」という意味でとらえることができた。
■息を吹き返す
大会2日目、ルーマニア戦ではシュテフ(世界ランク16位)に2点落としたものの、残りの3つをきっちり押さえて大会初勝利をもぎ取ると、ハンガリー戦ではトート(世界ランク18位)から2点を奪って勝利を収めた。
ライバルからの2勝で、日本は息を吹き返した。
この日の朝、選手のストレッチなどをおこなった竹内は、大会後の報告書にこのようなことを書いている。
《大会期間中であっても、ストレッチングやフィジカルトレーニングなどをしっかりやることが、選手の能力を最大限に発揮するために欠かせないことを実感した》
ベンチの采配を託された高木は、ひそかな自信をつかむことになった。
ハンガリー戦、1-1のタイで迎えた3番で、平野早矢香がファゼカシュと対戦した。
4か月前のデンマークオープンで、平野が0-4のストレート負けを喫している相手だ。
その試合を分析した高木は、両ハンドで対抗したのが敗因とみて、「ミドルに来たボールはフォアで回れ」という作戦を与えた。
その指示を素直に実行した平野は3-1で快勝、チームに勢いをもたらした。
高木に芽生えたひそかな自信──それが、メダルのかかった最終戦、香港との一戦に象徴的にあらわれるのである。
連載第3回 卓球日本女子、銅への階段(3)
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