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「ありがとう平沼園、感謝の集い」 明治大、伝統の卓球場に別れ

大学卓球界の名門、明治大学卓球部は、新しい合宿所が完成したことにより、50年にわたって練習場としてきた民間施設「平沼園卓球会館」に別れを告げた。18日にはOBらが駆けつけ「感謝の集い」が行なわれた。

執筆者:壁谷 卓

《明治がやらねば誰がやる》のもとに

これまで明治大学卓球部の練習場兼合宿所となっていたのは、東京・武蔵野市にある平沼園卓球会館。
一般の愛好者も利用できる民間の卓球場だが、《明治がやらねば誰がやる》と書かれた横断幕が掲げられ、「メイジの練習場」として名高い。

6台から7台の卓球台を置くことができるが、そのうち明治が専用で使えるのは3台。そこに20数名の部員が群がる。
規定の練習時間内では、とても一人ひとりの課題練習にあてる余裕はなく、すべてゲーム練習となる。
勝った選手はそのままゲームを続行できるが、負けた選手は3時間のうち1試合しかできずに終わってしまうこともあるという。

途中、平沼園の建て替えなどで練習環境は多少変わったが、50年にもわたって専用の練習場を持たずに数々の名選手を輩出してきたのは驚嘆に値する。

平沼昇さん
平沼園2代目館長の平沼昇さん
現在の平沼園の館長は、2代目の平沼昇さん(69)。小さいころの昇さんは体が弱かったため、都のスポーツ指導員をしていた亡父の鶴吉さんが、地域の子どもの教育や体力づくりのためにと、卓球台3台のバラック小屋を建てたのが「平沼園」のはじまりとなった。

7人の全日本チャンピオンを輩出

明治と平沼園とのつながりは昭和30(1955)年にはじまる。
一般客に混じって毎日のように練習に通ってくる明治大学の卓球部員がいた。大学の施設はほかの部と共用のため存分に練習ができない、という話を聞いた鶴吉さんは、それならウチで練習したらいいと持ちかけ、当時2階にあった12畳の和室3部屋を提供、レギュラー部の合宿生活がはじまったという。

翌年には世界選手権の代表選手が、昭和34(1959)年には初の全日本選手権シングルス優勝者が誕生した。以来、「平沼園育ち」の明治大出身選手は7人が全日本チャンピオンに輝いているほか、世界選手権、オリンピックにも多数の選手を輩出。関東学生リーグ1部では優勝28回の最多記録を誇っている。

今年2月、明治大学は調布市と、スポーツ活動などを通して地域との交流を深めていく「相互友好協力協定」を結んだ。このため、同市内に新たな合宿所の建設が進められ、6月末に硬式テニス部と共同の合宿所が完成した。

卓球部は7月10、11の両日に引っ越しを終え、この18日、「ありがとう平沼園、感謝の集い」が行なわれた。
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