卓球/卓球関連情報

世界卓球選手権大阪大会ルポ 練習会場から見える風景(18)(7ページ目)

連載ルポルタージュの18回目。高島氏へのインタビューの最終回。

執筆者:壁谷 卓

プレスセンターに戻った私は、椅子に深く腰をおろした。長いインタビューを終えた疲労感がどっと押し寄せてきた。頭のなかでは高島氏の言葉が駆け巡っていた。

高島氏は饒舌すぎるほどに饒舌だった。それゆえ、なかには度を越してしまったのではないかと思えた主張もあった。憶測にすぎないのではないかと思われる発言もなかったとは言えない。だが、それでもなお、私は高島氏の「物語」を深く受け入れようとしていた。本来であれば試合会場で指揮をとっていた男の、組織的な圧力によって葬られた男の、後ろ楯となるべき協会に裏切られた男の、その内面に、感情のうねりを含めて起こった「事実」であるからだ。

それにしても──。
私にはどうしても腑に落ちないことがあった。ナショナルチームの総監督という立場にある人物が「解任」される事態が発生したというのに、多くの事実は明るみにされぬまま、強化本部をはじめとする協会の責任問題もさほど論議されぬまま、何事もなかったかのように済まされてきたことである。

かりに、おなじような事態がサッカーに生じたとしたら、と私は想像してみた。マスコミは容赦なく事実関係を追及し、ほとんどすべての背景を白日の下にさらすだろう。ファンからの批判も殺到するに違いない。国内スポーツのなかでは厳しい眼を向けられるがゆえ、近年の日本のサッカーは著しい成長を遂げている。

幸か不幸か、卓球はぬるま湯のなかで生き長らえてこられた。どのような理不尽な事態を引き起こそうと、どのような惨敗を喫しようと、バッシングという「魔の手」を逃れられてきた。それは、卓球というスポーツが精神的なアマチュアの域を越えていないからである。

振り返ってみて、私にも思い当たる節はあった。83年の東京大会で女子団体の銀メダルを目撃したとき、よくやったという思いよりも、金メダルを逃したことに、歴然とした中国との実力差に、落胆したことを覚えている。その私が14年後、松下浩二、渋谷浩の銅メダルに心を弾ませていた……。

銀も銅も素晴らしい成績ではある。しかし、いま私は、いつのまにか金メダルを渇望する人間からメダルを期待する人間に変わっていたことに気づき、哀しくなった。そして、報道などを見るかぎり、私のような人間はけっして少なくはないようなのだ。

武田明子、川越真由は、孫晋、楊影に勝てるだろうか。私のようなファンのいる国の代表が、金メダルを逃した選手を「戦犯」扱いするファンに囲まれた中国の代表に勝てるだろうか。

悔しいが、私はひとつの事実を認めざるを得なかった。我々は本気で勝とうとはしてこなかったのだ。勝てないとすれば、それは「日本代表」ではなく、日本の卓球界なのだ。

練習会場から見える風景(19)
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