私はきわめて可能性の薄そうな質問をした。
「もし、再び、ナショナルチームの監督なりの要請があった場合、高島さんの復帰はございますか」
「ありません」
「この人なら安心してみてられるという適任者はいますか」
「どうでしょうね。でも、監督とか、ヘッドコーチとか、なりたい人いっぱいいますよ。JAPANのユニフォームを着たい人はむちゃくちゃいるんです」
「そうでしょうね」
「そりゃあね、僕は絶対やりませんって言いましたけど、もう人事権からなにからお前に全部任せると。5年間なら5年間、もういっさい言わない、全部一筆書いて、お前に任せるとなったらね、そりゃ、やりますよ。世界中からトップクラスのコーチを呼んで。でもね、現実的に無理です。そこまでのコンセンサスは得られないですね」
「女子の銅メダルは立派だとは思いますが、高田佳枝さんの帰化がなければ難しかったと思います。その高田さんにせよ、羽佳さんにせよ、年齢的に今回かぎりの可能性は高いですよね」
「結局ね、そんなもう夢のない話ばっかりになるじゃないですか。ところがね、日本には優秀な選手がいっぱいいますよ。やれる選手はいっぱいいます。ただ、指導者が少ないだけです。指導者がいたとしても、その指導者に選手をあずけるだけの入れ物がないだけです。だから、そこに行けばレッスンができるという入れ物をつくればいいんです」
「それは、今後、高島さんがおやりになろうとしてることなんですね」
「まだ、はっきりとは言えないんですが。もう、それしかないと。いままでのような一時的な駆け込み寺のような役割ではありません。あずかった選手をちゃんとした戦場にのせて、年間の実績を全部データにしてやっていこうと。武田、川越も、最初のうちは半信半疑で指導を受けていましたからね」
高島氏の携帯電話が鳴った。それは、このインタビューがはじまってから、3度目か4度目だった。高島氏は、時に中座しながらも、すぐに戻ってきては「大丈夫です。全然問題ありません」と話をつづけてくれたのだった。これ以上、引き伸ばすわけにはいかなかった。
電話を切った高島氏に、私は礼を述べた。
「明日、見ていってやってください」
そう言い残して、高島氏は歩み去っていった。