「ノーだったんですよ」と高島氏は言った。
「どうしてですか」
「わかりません。ノーなんです。ダメだって言われたって。浩二だけ来たんです。それで健勝苑の鬼頭、平とか増田とかに頼んで来てもらったんです。けど、彼らも社会人ですから、30分もがんがん打ちゃ、もう大変ですよね。それで東山高校の高校生を2人呼んで、3日間やったんですよ。
そうしたら、浩二は筋肉痛で2日間はメシが食えなかったらしいです。長年ラケット握ってるというのに、そのあいだに親指にマメができました。でも、僕は基礎的な練習しかしなかったんです。年齢的なものもあるし、怪我をさせてはいけないし、僕のなかではそんなにハードな練習をさせたつもりはなかったんですけど、練習不足だったのか、彼は2日間メシ食えなかったそうです。
そこまでやったんですけれども、やっぱりちょっと時間が足らなかったんです。錆びを落とすのが精一杯だった。磨きをかけるまでいかなかった。古い戦術を変えるところまでいけなかったんです」
大会直前にナショナルチームが大阪で合宿をしているときも、松下の状態を心配した小野コーチが電話をしてきたという。
「いや、どうも調子がよくないんですよ」
「午前と午後、ナショナルチームが練習しているところに、僕が乗り込んでいってやるわけにはいかない。だから、夜に、規定練習が終わってからフリーの時間に体育館が使えるんだったら、面倒みてやることはできる。セットアップできるんやったら、本人と相談してやりなさい」
高島氏はそう伝えた。
「できなかったんです。体育館が使えないと連絡がきて」
「貸切で使えるわけですよね」
「もちろん貸切です」
「それなのに、どうしてダメなんですか」
「夜は使えないんですって。それでレッスンできなかったんです」