「このあとの試合は、ITTFのツアーでなにか予定されてるんですか」
「このあと、知らない」
「知らない?」
「言われて行くの」
福原の言わんとすることは、ITTFのツアーに出場する日本代表メンバーは日本卓球協会が決めることであり、自分の意志が入り込む余地はない、代表に選ばれたら出場するが、それはわからない、ということである。だが、その記者は、福原のスケジュールはすべてコーチたちが管理し、彼女自身は出場予定の試合すら把握していない、と解釈してしまった可能性もある。
かつて同じ立場で禄を食んでいた者として、記者の状況が推測できないわけではない。おそらく、その記者はいくつもの競技を担当して(させられて)おり、今週は卓球、来週は○○……という日々を送っているはずだ。時と場合によっては、スポーツ以外の取材に駆り出されることすらあり、いくら仕事とはいえ、そのような状況のなかですべての競技に精通するのは至難の業である。
メジャー度から考えても、卓球の「勉強」に傾ける労力はけっして多くはないだろうし、卓球の取材なら「愛ちゃん」さえ押さえておけばいいと考える取材者が多いのも不思議はない。
ゆえに、ITTFプロツアーの出場選手の決め方まで確認しきれなかったのもやむを得ないとは思う。だが、しかし、「愛ちゃん」さえ望めば、どんな試合でも出場できるに違いないという前提に立った問いは、少女の心に深い傷を刻み込んでゆく。
「愛ちゃん」は特別という意識の発露でもあるからだ。いつも、あれほどの報道陣に囲まれては、「愛ちゃん」は特別視されつづけたのではないか。そのたびに福原は、自分を理解しようとしてくれない取材者に苛立ちを募らせてきたのかもしれない。福原の「敵意」のこもった視線がどこに端を発しているのか、私はなんとなくわかった気がした。
誰だって緊張する、誰だって、誰だって……。
彼女の叫びが、耳の奥でリフレインしている。私はいま初めて、福原愛の声をしっかりと聞きとめたいと思いはじめている。
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