勝負をかけた第3ゲームを接戦で制し、第4ゲームを一方的にリードしながらも、なにかに「憑かれた」ような林菱の表情は変わらなかった。勝利を決め、蔡総監督の祝福を受け、ベンチに腰をおろすと、林菱はタオルに顔をうずめた。抑えていた感情が一気にあふれでたようだった。
テレビ画面にアップで映し出されたその姿を見つめながら、彼女の闘いは終わったのだな、と私は思った。彼女は「頂点」に立ったのだな、と。
林菱とおなじブロックにいた中国選手は世界ランキング2位の李菊、6位の楊影だった。ともに団体のメンバーであり、実力的には林菱より上と見られている選手である。ところが、ベスト16入りをかけた3回戦で李菊が、楊影が、ともに姿を消すという波乱が起こった。王楠のいるブロックの4人の中国選手は順当にベスト16に名を連ねたのだが、林菱のブロックの中国選手は彼女ただ1人になってしまったのだ。
楊影はまだしも、李菊は必ずや金メダル争いに絡むと目論んでいたはずの中国国家チームにとって大きな誤算だった。王国の威信をかけて、林菱をなんとしても勝ちあがらせなければならなくなった。
その時点から彼女は彼女ではなくなった。比較的気楽に戦える立場から、国家チームの「使命」を一身に背負わされる立場に変わったのだ。
3回戦で日本に帰化した羽佳純子を破った林菱は、ベスト8決定戦でチャイニーズ・タイペイに移った世界5位の陳静、準々決勝でオーストリアに渡ったリュウ・ジャと、ことごとく中国から移住した選手と対戦し、ことごとく沈めてきた。
キム・ユンミを下して中国の金メダルを確定させたとき、彼女は国家チームの使命から解放され、涙を流した。彼女が闘っていたのは、対戦相手ではなかった。
彼女が実力以上の躍進を遂げ、決勝の舞台に立つことを許されたのは、望むと望まざるとにかかわらず、守るべき巨大なものを背負ったからであるように私には思われた。乗り越えて得るものへの喜びより、乗り越えられずに失うものへの恐れが大きかったからではないかと思えたのだ。
重圧に押しつぶされそうになる自分自身に打ち勝ち、使命を果たした。失うもののなくなった林菱のボールに、もはや魂(ソウル)が乗り移ることはないだろう。メダルを確定させて中国戦に臨んだ日本女子チームのように。果たして、武田と川越はどうなのか……。