蔡総監督はこの第3ゲームが、勝負を左右するターニングポイントになるとふんだようだ。1試合に1回しか与えられないタイムアウトを5点リードされた局面で使った以上、是が非でもこのゲームをひっくり返さなければならない。
もし、作戦が不発に終わり、先行を許すような事態になれば、試合内容からみて、キムの勝勢を覆すのは難しいように思えた。テレビから音声は流れてこない。かりに聞こえたところで中国語が理解できるわけでもない。ただ、蔡総監督のアドバイスによって、虚空をさまよっていた林菱の瞳が標的を見定めたかのように「光」を宿していくのがわかった。
林菱は戦術を転換した。ドライブで攻め込むのは「確実なボール」に限定し、キムの攻撃を台から離れてしっかりとドライブをかけ返す。先ほどまでの窮屈そうだったプレーとは明らかに異なり、振り幅の大きい伸びやかなドライブが戻ってきた。
9-11、12-13と挽回し、13-13と追いついたとき、私の隣りで「ポン」と1回、拍手の音がした。先に決勝に名乗りをあげ、テレビ画面に見いっていた王楠だった。思わず叩いてしまった、という照れなのだろう。はにかんだ表情が浮かんでいる。私にはそれが嬉しかった。
前回の世界選手権、シドニー・オリンピックで女王の座についた王楠の人気は凄まじく、仕事の一部といえるほどにサインや記念撮影を求められる。彼女はけっして断らない。だが、まるで条件反射のように、きまって表情を無くす。心を閉ざすのだ。笑顔を見せたとしても、瞳は笑っていないのだ。
しかし、拍手をしたその瞬間は、女王の仮面がはがれた。素顔の一端が垣間見えたように思えたのが嬉しかった。
じわじわと林菱が優位に立ち、19-17でリードを奪った局面でドライブの応酬になった。遠心力を利かせた林菱のボールに負けまいと、キムは台に近いポジションをとって対抗する。1本、2本、3本……激しいラリーがつづく。
意地と意地がぶつかりあった勝負を分けそうなポイントだ。おなじ1点でも、「重み」はすべて等しいわけではない。林菱の執念が上回った。キムの打球がコートを外れた。王楠がテレビのまえを去っていった。