卓球/卓球関連情報

世界卓球選手権大阪大会ルポ 練習会場から見える風景(12)(2ページ目)

連載ルポルタージュの12回目。女子シングルス準決勝でキム・ユンミと対戦する林菱を、私はテレビのまえで見つめた。

執筆者:壁谷 卓

シェークハンドラケットの片面に裏ソフトラバーをはり、もう片方の面には裏ソフトと見た目や打球音がきわめて似かよった、それでいて逆の性質を持つ「アンチトップスピンラバー」をはっていた蔡は、対照的な性質の2つのラバーを完璧に操り、ラケットを自在に反転させる「異質反転」という攻撃スタイルを確立したほか、身体でインパクトを隠す「ボディーハイドサービス」を使って相手を惑わせた。

戦略家の素養の一端がうかがえるその頭脳的なプレーは対外的に無類の強さを発揮したばかりでなく、異質反転、ボディーハイドサービスを世界的なブームにした。

しかし、観客にわかりにくいミスが多い用具頼みの卓球は好ましくないという声が大きくなり、1983年、「ラバーを両面にはる場合は異なる色にする」「ボディーハイドサービスを禁止する」というルール改正が行われた。

ボディーハイドだけならまだしも、ラバーの色によって相手から球質を見分けられてしまえば、異質のラバーを反転させる効果はめっきり薄くなる。「蔡つぶし」とも囁かれたこの改正により、選手としての彼は殺された。卓球の「芸」が殺された。

中国卓球協会の勧めにより85年に一線を退いた蔡は、コーチの勉強のためイタリアに渡った。スウェーデンを筆頭にヨーロッパ勢が台頭しつつあったころで、中国にはなかったクラブによる強化や運営のシステムなどを、蔡は3年8ヵ月かけて学んだ。

そのあいだ、中国の男子が急落の一途をたどり、コーチ留学から戻った蔡が男子監督に就いて間もない91年の世界選手権では団体で史上最悪の7位に低迷した。

中国がお家芸とする速攻──中国式ペンホルダーに表ソフトをはり、小技の巧みさとタイミングの早さでたたみかける伝統のスタイルが通用しなくなっていた。「ペンホルダーを改革せよ」という中国卓球協会の号令のもと、「裏面打法」という革新的なスタイルをあみ出す一方、シェークハンド選手の養成に力を入れ、ヨーロッパ対策としてラリー戦での強化を徹底した。

93年に2位に浮上すると、95年に地元で開かれた天津大会で王座に返り咲いた。そして97年から総監督に就き、男女を統括している。
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