実際、卓球においても、そういう安全志向が主流だった時代がありました。1936年の第10回世界選手権において、単調なツッツキのラリーが延々とつづき、1ポイントが決まるのに2時間を超えたそうです。
『卓球物語』という誉れ高き本によれば、2時間5分説、2時間12分説、2時間15分説があるのですが、説が唱えられてしまうこと自体、もう伝説のラリーです。
こんな人間離れした精神力の持ち主は、ポーランドのエーリッヒさん、ルーマニアのパネスさんのお2人。エーリッヒさん、1時間たったときにラケットを左手に持ち替えて30分粘ったあと、再び右手で45分。その器用さにも感心しますが、常人なら腕より先に精神的にしびれを切らしてしまいそうです。
しかし、審判もたまったもんじゃないですよね。首を右、左、右、左……このラリーの間に3交代したそうです。いつまでたっても終わらないラリーに業を煮やした国際卓球連盟は、解決策を練るために緊急の会議を開きましたが、1時間後に会場に戻ったら、まだラリーがつづいていたというエピソードもあります。
当時は、用具の質が悪くネットも高かったという、非常に攻撃しにくい状況だったことはあるにせよ、現代の卓球からは考えられないようなラリーです。試合をスピードアップさせる「促進ルール」の導入によって、ルール上、不可能になったこともありますが、ネット型の卓球においても、積極的に相手のミスを誘い合う時代だからです。
ただ、ミスを誘うための戦略、戦術を限りなく高めてきた結果、卓球がわかりにくいものになったような気もするのです。
第2回「回転というわかりにくさ」
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