プロレス/プロレス関連情報

『完本 1976年のアントニオ猪木』を語れ(2ページ目)

日本プロレス界の行く先を決定付けた運命の1年=アントニオ猪木の1976年を描いた柳澤健著『1976年のアントニオ猪木』が完本となって発売された。語りつくせぬ、その魅力を柳澤さんに聞いてみた――。

執筆者:川頭 広卓

日本と似た韓国プロレス界の栄枯盛衰とは?

――新間さんの説もありますが、どっちが本当ですかね?

「嘘つく必要はないでしょ。ふたりとも。新間さんからは、会場の空気は静かなものだったと見えたと思うし、藤原さんは藤原さんで、猪木を守るためにリングに上がらなきゃいけない訳だからテンションが上がっていただろうし。やっぱり、レスラーと背広組では全然違うでしょうね。皮膚感覚のようなものが」

――藤原さんは、リング上で拳銃向けられてビックリしたと語ってくれました。

「へえ。聞いてみないと分からないもんだね。やっぱり藤原さんにも話を聞くべきだったかな」

――さて、今回のインタビューですが、まず大幅に追加されたという韓国編は、すでに4回くらい読み直してみました(笑)

「どうだった?」

――大熊さんがガチを仕掛けたってところなんかも最高でしたが、韓国プロレス界の栄枯盛衰が非常によく理解できました。

「大熊対張永哲の試合は映像で見たいよね。ビデオテープは残っていないと思うけど。あと、“パク・ソンナンと猪木は4回くらいやっている”って、金斗満は言うのよ。“(金一と戦った)75年以前にも猪木は韓国に来てる”っていうから、“記録を見せてくれ”って言ったら、ないっていうのよ。向こうは全然記録がないんだって」

――しかし、韓国プロレスがあそこまで流行っていたというのは知りませんでした。

「ねえ。でも、ああやって韓国プロレスの全体の歴史を見ると驚くでしょ?」

――結局、日本のプロレス界と同じなんですよね?

「そうそう。結局、プロレスというものの構造は同じで、テレビの時代に爆発的に当たった。どうして当たるかっていえば、結局視聴者がナイーブだからだよね。プロレスを真剣勝負だと思っちゃった。日本人を叩きのめしたいっていう潜在的願望があるからだろうね。潜在的願望を刺激してあげれば、人はどんなものでも信じる、ということでしょう。

日本人の中にも、戦争で叩きのめされたアメリカ人に復讐したいという願望があって、それがリング上では現実のものになるから興奮する。そういう構造なんですよね」

――また、星野勘太郎さん(韓国でのリングネーム=呂建夫)が、あれほどまでに韓国で人気があったとは・・・。

「星野さんは韓国では本当に凄い人気だったみたいよ。女性にもモテモテだったみたい。星野さんにその全貌を聞いたら凄い面白いと思うよね。韓国プロレスの中での呂建夫っていうのは、どういう存在だったのか。病気されているみたいだけど、快復したら、Kamiproとかインタビューすればいいのにね」
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