遂に実現した、前例なき猪木へのインタビューとは?

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『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(1)(2)(3)(4)


昨年7月に発行された『Number681号』では、柳澤さんによる猪木へのインタビューが遂に実現。その内容は、禁断の領域へと踏み込む、前例なきものとなった/(C)文藝春秋
これまで4回に渡ってお届けしている『1976年のアントニオ猪木』著者・柳澤健さんへのロングインタビューも、いよいよ最後の更新をむかえた。

真剣勝負の格闘技と、大衆娯楽のプロレス。本来、交わることのない両者が、なぜか、日本だけは密接な関係を保ち、混同している人も多い。格闘技とプロレスにおける捩れた現象。その要因こそ“アントニオ猪木の1976年”に帰結すると本書では説いている。

そもそも、プロレスラーには、勝ち役、負け役が与えられ、それを他言することは決してない。これは物語の結末を、読む前に明かす作者がいないのと同様で、レスラーがプロレスを真剣勝負だと演じるのは自分の舞台を守るというごく基本的なことだ。

故に、レスラー自らが内情を曝け出すような発言をすることはなく、それが業界の根幹、アントニオ猪木なら尚更なのだが、その猪木自身が、30年以上も前にプロレスのわくを超えた真剣勝負(リアルファイト)に踏み切っていた。1976年に行われた猪木の3試合、6月に行われたボクシング界のスーパースター、モハメッド・アリ戦、10月のパク・ソンナン戦、12月のアクラム・ペールワン戦がそれだ。

これこそが、今回のインタビューにおいて、柳澤さんが“ファンタジー”と形容した、いわゆる“日本の格闘技がプロレスに起源を持つ”と誰もが錯覚した全ての始まりとなった。

だが、前述した通り、この手の話しをレスラー本人へと確認することは業界のタブーを侵すことでもある。本書の完成を踏まえて、柳澤さんが猪木へのインタビューを申込みながら、一度は断られているのも当然と言えば当然だ。

柳澤さんは本書の文末において、「インタビューは魔術師に種明かしを迫るようなものにならざるを得ない」(『1976年のアントニオ猪木』397頁より)と表現し、インタビューが実現に至らなかったことに関しては「本書の性質上、仕方のないこと」(同上)と結んでいる。

しかし、転機は突然訪れた。

アントニオ猪木がアイコンとなったプロレス団体、IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)の旗揚げである。団体の長となった猪木は、そのプロモーションに躍起となり、かつては考えられなかった頻度でメディアへと登場、その門戸を一気に解放したのだ。

この機に、Number編集部は猪木へのインタビューを打診。柳澤さんによる猪木のインタビューが遂に実現する運びとなった。

平成19年7月5日発行『Number681号』にて掲載された前例なきインタビューは、既存のプロレスメディアには到底不可能なプロレス・ファンタジーの解明だ。プロレス的に言うなら、「柳澤さんが、猪木にシュートを仕掛けた」なんて表現にもなるのだろう。
(その内容に関しては、是非とも『Number681号』を取り寄せ、ご確認頂きたい)

インタビュー最終回。猪木とのリアルファイトを終えた柳澤さんに、率直な気持ちを聞いた――。

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