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『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(3)(3ページ目)

『1976年のアントニオ猪木』著者・柳澤健さんへのロングインタビュー。第三弾は、いよいよ本題へ。ファンが“プロレスを真剣勝負と思い込んでしまった”きっかけとなる猪木の1976年に迫る。

執筆者:川頭 広卓

「本当は1200枚くらい書いた・・・」

――さて、そんな『1976年のアントニオ猪木』ですが・・・。

「経費がすごくかかったので大赤字ですよ。仕事としては完全に失敗。まあ、文庫になれば多少は回収できるかもしれないですけどね。ただ、猪木さんにもインタビューできたし、満足はしてます。文庫本の方では“完全版”にしたいと思ってます」

――完全版というのは?

「この本で、原稿用紙750枚くらいなのかな。でも、本当は1200枚くらい書いてる」

――倍に近いですね。未公開の部分というのは、どの辺りについて書かれたものなのでしょうか?

「例えば、パク・ソンナン戦っていうのは、韓国プロレスの歴史と深く絡んでいるんですよ。僕からすれば、パク・ソンナン戦を説明するには、韓国プロレスの歴史を書かなきゃいけないと思う」

――具体的には?

「朝鮮半島の南端にある釜山では、日本のテレビの電波が入る。いまでも日本の衛星放送を見るためにパラボラアンテナが林立しているっていう話を聞きました。

北朝鮮から逃げてきた張永哲(チャン・ヨンチョル)っていう人が、釜山の金持ちの家のテレビで力道山を観て、“俺もプロレスやろう”と思った。韓国のプロレスはそこから始まるんです。手作りのリングに偽の日本人が登場して、散々悪事を働いたあげく、正義のヒーロー張永哲に叩きのめされる。

戦後の日本では、力道山がアメリカ人をやっつけて、敗戦国の怨念を晴らしたけれど、それと同じことが日本-韓国の関係でも起こった訳。こうした韓国プロレスの成り立ちから、その後の韓国プロレス界には、国や政治も関係してきて、凄く面白かった」

――確かに、パク・ソンナン戦は一番情報がない試合でもありましたから、尚更興味を惹かれますね。そこが読みたいのに!

「他の人にも同じことを言われましたね(笑)

でも、文藝春秋から出ている単行本ですから、一般のどんな人にも分かるようにしないといけないので仕方ないのかもしれませんが、完全版を作るとしたら、そこは絶対入れたいですよね。

あっ、後、グレート・ガマに関しても、150枚くらい書いた。だから、本当の完全版をやったら、厚みがすごいことになっちゃう」〔次号へ続く〕

Special Thanks To Kenichi Ito

『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(1)
『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(2)

インタビュー続編はコチラから
※文中イメージ写真(Number表紙)は、文藝春秋/Number編集部の許可を得て掲載しております
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