TAKAみちのくインタビュー『TAKAみちのく、プロレスへの報恩』後編(前編はコチラ)。

自らの手で立ち上げた純正プロレス団体KAIENTAI-DOJOも、早いもので旗揚げ5周年を迎えようとしている。選手として代表として、TAKAみちのくは何を考え、動いてきたのか。選手だけならまだしも、慣れない若手の育成に手こずり、営業や社長業に苦悩する日々もあった。しかし、その傍らでは、団体は厳しい情勢ながらも充実し、選手は着実に成長、中には“世界のTAKAみちのく”を脅かす存在にまでなりつつある者もいるという。

「自分ももう15年。プロレス界をよくするために動いてかないと」

アメリカでの活躍から凱旋帰国を果たして5年、自身の団体運営はもちろん、今となっては業界全体の活性を第一に、様々な立場で多くの試みを仕掛ける。TAKAみちのくのアイデンティティは、業界をどのような方向へと導こうとしているのか……。

好きにやらせて結果を残せば問題なし

選手、社長、プロデューサー。多忙を極め、その身体はいくつあっても足りないという……。
ガイド:WWE在籍当時に思い描いていたKAIENTAI-DOJOの構想は、今段階でどのくらい実現できているのでしょうか?

TAKA:日本に帰ってきて「さあ興行やるぞ、社長やるぞ」って言って、5年前に旗揚げ戦をディファ有明でやったんですけど、10年間一レスラーとしてやってきて、人の上に立ったことがなかったですし経営も分からない。みちのくプロレス時代に、ちょっとだけ営業的なことをやったりもしましたけど、それもポスター貼ったりとかそんくらい。自分が海外に出る前っていうのは、凄くいい時代でみちのくプロレスもどこ行っても超満員。後楽園で試合するっていったらチケットは即ソールドアウトだったので、そんな頭しかなかったんですよ。

ガイド:確かに、当時のみちプロの希少価値は凄かったですからね。東京来る時、自分も必至でチケットを確保した記憶がありますよ。

TAKA:だから、興行やればお客さん入るんだなっていう思い込みがありましたね。旗揚げ戦では1000人入って満員になったから、その翌月に自分の“日本復帰戦”と謳って同じくディファでやろうとなった。旗揚げ戦は自分抜きで満員になったし、これで自分の復帰なんていったら凄いことになるなと。

ガイド:実際は?

TAKA:お客さんが(旗揚げ戦の)半分に減った。で、その後もやればやるほどお客さんが減っていく。「興行やります」って、雑誌とかに告知すればお客さんは来るもんだと思ってましたから。でも、1年でディファに1000人入っていたものが、最後は200人も入らなくなってしまった。そこで初めて「これじゃいかんな」って考えましたけど、全然遅かったんですよね。

ガイド:プロレス界にとっても冬の時代に突入していましたね。

TAKA:そこから経営者として色んなことを考えて、分からないまま今に至るって感じですかね(笑)。

ガイド:えっ、今に至ってしまうのですか!?

TAKA:いや、本当に今でも「どうしたらお客さんが入るのか?」ってずっと考えてますね。結局は営業してチケット売るしかないんでしょうけど。

ガイド:ちなみに、常設会場という発想は?

TAKA:日本に帰ってきてから、興行はできても巡業する体力はないんで、それは最初から考えてましたね。で、毎週同じところでやってお客さんに来て貰う。そこでも、やれば(お客さんは)来るもんだと思っていたんですね。毎回満員になるだろうなって。

ガイド:感覚的には勝算があった?

TAKA:でも、毎週やってるから日々新しいものを出していかないとって、今もずっと考えていますよ。後楽園や大阪、名古屋の大きい都市にも、たまに行きますけど基本は千葉でお客さんに来て貰う。

ガイド:苦戦されているとはいえ、KAIENTAI-DOJOは、WEBサイトといった環境の設備や、団体内のチーム編成にしても、他団体に比べかなりしっかりと整備されており、お世辞抜きに感心する部分が多いのですが?

TAKA:どうですかね。もう5年になりますからね。最初に日本へ帰ってきた時に、プロレス団体に何が必要かと考えた時に、道場、会場って思ってやってたんですけどね。まあ、うちは軍団だなんだって、選手に好きなことをやらせているんですよ。普通は上にボスがいて「あれやれ、これやれ」っていうところが多いと思うんですよ。まあ、それはどこの団体にもあるんですけど、昔からうちはデビューから言いたいことを言わせるようにして、やりたいことをやらせるようにしているんですよ。