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兄格闘家、弟プロレスラー。兄弟の闘い(後)(2ページ目)

崔兄弟に聞くインタビュー後編では、RYOが積み重ねた韓国での実績、そして、昨今、お笑い、映像とチャレンジ精神旺盛な領二の感性に迫った。

執筆者:川頭 広卓

SPIRIT MCのトーナメントで優勝!それがデビュー

過去には、現総合格闘技イベントDEEPのトップ選手、キム・ドンヒョンを撃破しているRYO
――それでも、すぐにスピリットMC出場できる訳ではありませんよね?

RYO「学費を稼ぐために休学して、建築現場でバイトしてて、その合間にも日本で練習をしました。でも、向こうで、真武館って言うんですけど、そのエースの奥田(正勝)さんが道場開くことになり、オープンして3ヶ月くらいの時に僕も韓国へ戻ってきて、グラップリングのコーチをすることになったんです。それで、スピリットMCに僕もエントリーすることになりました。それが、本当の(プロ)デビュー」

――そのスピリットMCのトーナメントで優勝したと伺いました。

RYO「それが最初のトーナメントですね。一回戦の相手が今、DEEPで活躍しているキム・ドンヒョンでした。後は、木村仁要さんという方もいて、僕を入れた3人が優勝候補でしたね。僕らは単に“日本人だから強いだろう”って(笑)」

※2004年2月7日・KBS88体育館で開催された『SPIRIT MC INTERLEAGUE 1』。RYOは、ワンデートーナメントで3回勝利を挙げ優勝した

――キム・ドンヒョンっていったら、今や大変な選手ですよ!

RYO「その時は、打撃もうまくなかったと思います」

――で、その翌年2005年にもミドル級トーナメントで準優勝を挙げています。

※2005年10月29日・ソウル ジャンチュン体育館で開催された『SPRIS SPIRIT MC 7- Middleweight GP Final』

RYO「でも、この時の大会では、決勝で顎撃ちぬかれて、人生初の失神KOされたんですよね。それまでは一切打撃をやっていなかったんですよ。“今まで、よくこれで通用したなぁ”って」

――韓国から日本へと主戦場を変えたきっかけは?

RYO「韓国でやってても食えないというか、これ以上、知名度を上げることができないというがあって、絶対ここじゃ強くなれないと思い、日本に帰ってくることになりました」

――韓国のレベルが低かった?

RYO「レベルもそうなんですが、韓国人って、世界で活躍しないと認めてくれないんですよね。プロ野球のイ・スンヨプとか、(MLBの)ドジャースにいったパク・チャンホとかも外に出たから認められたってところがあって、国内スポーツ自体、人が入らないですし、サッカーも、ワールドカップは盛り上がりますが、Kリーグなんて全然ですから」

――その反面、RYOさんが韓国にいる間、領二さんの活躍は見ていました?

RYO「もちろん。雑誌やインターネットで見て、刺激を貰っていましたね」

――領二さんは、プロレスの方でステータスを上げている実感ってありました?

領二「そうですね。上の方で組まれ出したあたりからですかね。でも、プロレスって、目に見えない壁っていうか、格闘技は分かりやすくて、勝てば勝つだけ認めて貰えますし、その分一試合の重みってありますよね。プロレスだと積み重ねも大事になってきますから」

――必要以上に時間が掛かったりもしますからね。

領二「僕が見てても、(兄は)オープニングマッチですけど、HERO'Sに出て2試合やった。これだけでも響いてくるものがあるんですよね。一気に知名度も上げてほしい。僕も、今、6年プロレスをやっていますけど、まだまだ(満足しない)。そういう意味では、格闘技が時代の流れできているっていうのもあるし、(兄には)時代の流れに乗って欲しいですよね」
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