10月27日のパンクラス有明大会の主役は、坂口征夫以外なかった。デビュー以来八連勝中、ランキング4位であった五十里祐一を、1R 21秒K.O.で封殺。この日行われたどの試合より強烈なインパクトを残す戦慄の一戦。会場は瞬時に興奮の坩堝(るつぼ)と化した。これまで、往年の大プロレスラーであった父・“世界の荒鷲”坂口征二と、弟の売れっ子俳優・憲二の知名度ばかりがクローズアップされてきたが、ついに自らの実力で、“七光り”の汚名を打ち砕く大きな楔を、格闘技界に打ち込んだ瞬間であった。 齢35歳にしてようやく開花の時を迎えた“坂口家の長男”征夫。少年時代からプロレスラーに囲まれ、明大中野という強豪校で柔道のキャリアを積んだ青春時代ーー格闘家の卵として、“恵まれすぎた環境”で育った彼ではあったが、十代中盤から道をはずれ、いつしか渋谷の町を徘徊する不良少年へ。彼の人生は、父の名声に対する反抗の歴史であり、その軛から逃れるための逃走の歴史でもあった。壮絶な葛藤の歴史を経て、競技は違えど共にリングに生きることになった、この親と子の間に受け渡されたものは何だったのか。 年末の大舞台出撃が噂される今、“意中の対戦相手”に向けた挑発発言も飛び出した。全編の終わりに明かされるこのサプライズまで、じっくりお読みいただきたい。 |
プロレスラーになると思い詰めた小学生時代
――リングでずっと試合は見てますから、タトゥーがあるのはわかってましたけど。やっぱりこうやって近くでみるとインパクトありますね(笑)。それはいつごろからのものですか?坂口「これは、まだ最近ですねえ。六月の時はまだ筋彫りでしたから」
――試合ごとに成長していく?(笑)
坂口「そうそう(笑)」
――昔から結構タトゥーは入れてる方でした?
坂口「ええ、二十歳ぐらいからすでに」
――お父さん(坂口征二氏・元新日本プロレス代表取締役)に怒られませんでした?
坂口「五年ぐらいはバレなかったんですけどね…まあ嫁がしゃべっちゃいまして(笑)。殴られておしまいでしたけどね」
――殴られました?(笑)
坂口「殴られました(笑)」
――まあ、真面目一徹ってイメージ通りですね(笑)
坂口「だから、最初試合に出る時もラッシュガードして出てましたからね(笑)。総合の選手で、総合のルールでラッシュガードしてる人見たことないし、ルール的にもだめじゃないですか(笑)。要は憲二のイメージもあるんで、裸になるんじゃないってことでして。九月(2006年)のゲートの時には裸でやったんですけど、一部の人間しか知らなかったんで。多分結構みんな驚いたんじゃないかなと思いますけどね。あちこち(彫り物が)入りすぎだよーと」
――(笑)最初はなんで入れようと思ったんですか?
坂口「最初は、プロレスラー目指してて、あきらめて、何もやってない二十代の時ですね。あの当時、だから今から十五年ぐらい前ですかね。入れ墨入れてる人って、そっち系ばっかりじゃないですか。俺の場合は、入れることで人前で裸になることもないし、格闘技に対する気持ちを切るって意味で」
――プロレスへの未練を断ち切るというか、一線を引くということですね
坂口「そうです、そうです。そういう決意で、いれました。」
――ただプールも入れなくなっちゃいますけどね(笑)
坂口「サウナも入れませんしね(笑)。ファッションとかで入れるとかそういう時代じゃなかったんで。最初埼玉まで入れに行ったんですけど、そっち系の人しかいないところで。本とか見ても、そこだけが店構えてやってる唯一のところだったんで」
――今でこそ、タトゥー入れてる選手も少なくないですけど。そんな重たい決意があってのものとは思わなかったですね。で、最初のプロレスラー指向というのはお父さんの影響ですか?
坂口「自分が小学校五年とか六年ぐらいのときに、船木(誠勝:当時優治)さんが中学を卒業して新日に入ってこられたんですね。んで、鈴木(みのる)さんと船木さんとライガーさんの三人によく遊んでもらって。で、新弟子の人と一緒に飯とかもよくいって。自分は兄貴がいないんで、兄貴代わりに、いじめられながらもよくかわいがってもらって。「おまえは卒業したらレスラーになれ」ってずーっと言われてたんで。」
――まあ、もう環境ですね
坂口「だから自分もその気になって。卒業したらレスラーになるんだーって、十九ぐらいまでは思ってましたね」