“野獣”と呼ばれた野良犬
こうして見てくると、サップという人間は、どこをどう考えても格闘家には向いていないように思える。格闘家に限らず、闘争心を武器とするアスリート自体、彼にはまったく向いていない職業なのではあるまいか?既に広く知られているように、サップは格闘技を志向してリングに上がった選手ではない。 NFLのプレイヤーとしては、ドラフト四巡の69番目で入団した泡沫新人。プロ生活でも芽は出ず、毎年戦力外として放出され続け、四年で廃業。WCW所属のプロレスラーとしても未デビューのまま。アスリートとしてはどのキャリアも誇りになるものを持たない、最低レベルの選手であった。
理知的である事が有名だったサップの素顔。まるで“営業用”の野獣の仮面が、私生活を乗っ取ったのごときオランダの狂乱劇。それとも「素顔」のほうが、仮面だったのか… |
要するに、図体だけはでかいが、結局どのジャンルでも一端(いっぱし)になれず、“食い詰めた”木偶の坊でしかなかった20代の生き様が、彼の原点なのではないかと思う。
彼は偶々並外れた筋肉と体格を持ち合わせていたために、まったく畑違いの格闘ジャンルにスカウトされたわけだが、実態は、全く技術をもたない“空箱”でしかなかった。そのコンプレックスが彼の中に常に“場違い感”や、それゆえの“疎外感”を作り出していたのではあるまいか。仮にも大学で四年、そしてNFLでも四年、アメフトの世界でアスリートとしての感覚を養って来た彼にとって、技術を持たない素人がプロのフィールドで戦う事のナンセンスさは十分判っていたと思う。なんとか練習を積む事によって、“ここに居る事”の必然性を作り出そうとしてみたものの、所詮彼自身は格闘技に対して何の愛情も執着も無い。ただ食うために、そして無名時代に逆戻りしないためにこのジャンルにしがみついているだけという事実を、サンドバッグを叩くたびに、サップは実感せざるをえなくなっていったのではないだろうか。
なんとか格闘技ジャンルを“卒業”して、芸能界に転身したいと考えて積極的にTVや映画への出演を繰り返していたようだが、TVバラエティは所詮“勝ってナンボのお客様”扱いであり、“本業”の戦績が落ち込めばお呼びが掛からなくなる。映画にしても、結局は格闘技に“引っ張られた”のと同じ、“見てくれの特異さ”だけが求められただけで、役者としてのポジションができた訳ではない。まして出演作はどれ一つヒットしない。
サップに残された選択肢は、結局格闘技だけだったのである。
だが、彼自身も自覚する通り、彼の格闘家としてのキャリアで光っているのは、二戦続いた「ホースト撃破」という大金星のみ。ミルコにKOされて以来、スタミナの無さ、苦痛に対する耐性の欠如など、欠点を露呈するばかりでパッとしない。大相撲の元横綱であった曙を破り空前の視聴率をたたき出した2003年末の「Dynamite!!」での活躍でさえも、その後の曙の凋落ぶりによって、今や誰もが苦笑をもって語る試合となってしまった。
要するに、現在のサップのK-1における立ち位置は「崖っぷち」であったのである。人気の頂点で結ばれた長期契約が更新期を迎えようとしていたのも、彼にとっては大きなストレスになっていたのではあるまいか。
「このままお払い箱になったら、俺はまたあの無職時代に逆戻りしてしまうのではないか」そんなトラウマが、ただでさえナイーブな彼の心理を揺さぶったのは想像に難くない。
そんな状態で、彼の許に三度目のホースト戦のオファーが持ち込まれる国内引退を賭けたホーストサイドの要求に応えた、傍目には“至極まっとう”なカード提示である。だが、猜疑心の固まりである“センシティブ”な大男にとって、これほど恐ろしいオファーもなかったのではないか。
「格闘家」という不安なビジネスを続ける唯一の拠り所=ホースト二連覇の勲章までを取り上げて、その末に俺をお払い箱にしようとしているのではないか、と。
この時期に、サップにこのカード提示をしたのが、K-1/FEGの最大の失敗であったのではないかと、僕は思っている。