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アビディVSバンナ遺恨試合の向こうに K-1パリ:遺恨試合はもう要らない(3ページ目)

K-1パリ大会でのアビディVSバンナの遺恨試合は、異常な盛り上がりを生んだ。だが、競技として再生を目指すK-1の今に、この試合は必要だったのだろうか?

執筆者:井田 英登

トーナメント三勝=ワンマッチ一勝?

今回のケースで言えば、確かに両者の出身国であるフランスでのカード実現は確かに“美味しい”。だが、それならばなぜ、彼らのカードをGP一回戦に組まなかったのだろう。

バンナとアビディは、昨年のGPではともに開幕戦で敗れベスト16止まりだった。(東京ドームでリザーブマッチを闘った)。

今年の>GPのレギュレーションにしたがうなら、世界6カ所で行われる世界予選から勝ち上がって来なければならない立場だ。ワンマッチにする必要は全く無いのである。にもかかわらず、このカードは「特別扱い」となった。

それも、勝者には主催者推薦でGP一回戦に進出する権利が与えられるという条件まで付けられたというから驚きだ。

要するに、それだけの“餌”が無ければ、両者共に闘う気がなかったのではないかとも思われる。それはそうだろう。アビディにすれば「一回ケリがついた喧嘩」であり、バンナにしても「一回負けた喧嘩」である。リベンジを望む気持ちがあるとしても、お膝元で再度遅れを取ったら、生涯アビディには頭が上がらないことになる。

本来、両者にとって決して得とは言えない戦いである。

それを無理矢理成立させたのは、やはり主催者のエゴであったであろうし、本来トーナメント三勝とワンマッチの一勝をイコールで設定してしまった段階で、「競技性軽視」と言われても仕方があるまい。

当然、それだけ条件を絞り込まれれば、選手の方も逃げる訳にも行かないし、必死で闘うしかない。事実終盤、幾らパンチを浴びても倒れなかったアビディの執念は、この逃げ場のない舞台設定から生み出されたものではなかっただろうか。

観客はその姿に興奮し、確かにパリの夜は炎上した。

華麗に燃え上がったそのエネルギーは、当面K-1の興行人気を支えるだろう。しかし、焼き畑農業が土地本来の地力を奪うように、人工的に作り出された「見せ物」の興奮は、確実に「競技」としてのK-1を蝕む要素として残る。本来競技の感動でファンを育てるべき地盤に、過剰な「見せ物」の刺激が投入され続ける限り、土地は本来の力を失い、競技性はやせ細って行くだろう。

その意味で、「K-1モンスター路線」の汚染は、まだ消えていないと僕は感じた。ナチスドイツの専横がパリを焼き尽くそうと目論んだように、多くのファンを魅了して来たK-1の競技性が、灰燼と消されるようなことがあってはならない。
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