ナチスドイツの敗色が濃厚となった第二次大戦末期、ヒトラーは連合軍侵攻に際して、パリ占領司令官コルティッツ将軍にパリ焼き討ちを命じた。狭量なこの独裁者は、自らのヨーロッパ制圧の象徴でもあったその街を敵に奪われるぐらいなら、灰燼に帰せよと命じたのだという。もしコルティッツがその命令に従っていたら、紀元前に遡るという歴史都市パリの時間ははそこで一度分断されていたことになる。(ラピエール&コリンズ『パリは燃えているか』)
今回、パリで行われたK-1 GPを観戦しがら、ふと僕はそんな故事を思い出していた。
最近、競技性重視の路線を打ち出し、ようやく“モンスター路線”(実力の見込めない大型選手を、話題性本意で起用した2003年前後のK-1のプロデュース手法)から、本来のキック競技としての方向性を取り戻しつつあるように見えるK-1WORLD GP。今回のパリ大会では、その競技性復活の証とも言える充実したトーナメントが開催された。これまで実力者としての認知が高かったにも関わらず、なかなか日の当たる事のなかったセーム・シュルトが三試合を勝ち抜き、遂にGP本戦への切符を掴んだ事は、ファンとして非常に喜ばしい結果でもあった。
だが、一方で、この大会にはまだ“モンスター路線”の残滓が残されてた。メインイベントのトーナメント決勝戦に先立って行われた、第八試合・シリル・アビディVSジェロム・レ・バンナのワンマッチがそれだ。一見、GP常連同志のご当地対決であり、本来なら“モンスター路線”と揶揄されるような要素は見当たらないカードだ。しかし、僕にはこの一見競技的マッチメイクの下に隠された、「見せ物本意」の意図が気になってならなかった。
まるで、それは“正常化”を目指すK-1の現在の方向性を、再びあらぬ方向に吹き飛ばしかねない時限爆弾のような要素を秘めているように見えたからだ。
突如勃発したフランス人選手二人の遺恨対決。 |
この遺恨はさらに続き、今年フランスで開催されたとあるローカル大会では、ついに両者が実際に取っ組み合いの喧嘩を繰り広げたという。このとき、バンナはなんとこのノールールファイトで失神。K-1のトップファイターとしての面目を多いに失するハメに陥ったという。
今回大会に、両者の対決がマッチメイクされたは、そうした対立の構図をリングで実際にファンに見せて興行人気を煽ろうという意図があったとしか思えない。正直、スポーツとして、競技としてのK-1をアピールしたいなら、こんなマッチメイクは必要ないと、僕は思ったし、その荒涼とした商業主義のあざとさに、冒頭のヒトラーの台詞をふと思い出してしまったのである。
無論、地上波のTV放映を軸にしたイベント運営である以上、そうしたスキャンダリズムを持ち込むのは当然という声もあるだろう。競技に徹して、つまらない“お綺麗な試合”ばかりを延々と見せられて、お茶の間のファンにチャンネルを変えられたら、おしまいではないかと。
実際、今回アンダーカードとして行われた、トーナメントはその“お綺麗な競技マッチ”の典型であったことは否めない。意地と意地で火花が飛び散るような様相を呈した、アビディvsバンナ戦が残した強烈な印象に比べれば、遥かに影が薄い。事実、試合内容だけいえば、この試合は素晴らしかったし、その事までは否定しようとは思わない。