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十年越しの対決=U という名の大河物語最終章へ 田村vs桜庭は「Uの墓標」か?(3)(2ページ目)

PRIDE29ではついに桜庭が、田村との対戦要求をぶちあげた。二年越しの、いやUインター時代からはほぼ十年越しのこのラブコールの秘める歴史と今後の展望。

執筆者:井田 英登

無論、それだけで八百長なんぞという物騒な推論を言い立てる気はないが、吉田が実力で田村をねじ伏せただけの結果だとしても、“このリングでオレは歓迎されていない異物だ”という態度を崩さない、この時の田村の謎めいた自己主張には、ただスポーツで勝った負けたという、ストレートな解釈だけではどうして汲み尽くせない要素が残る。

そのミステリアスさこそが、田村と言う選手に、勝っても負けても選手としての期待感を失わせない不思議な魅力を与えている。だが、本当に説かれる事を期待しない謎などこの世には存在しないはずだ。

田村の投げ続ける謎を正しく解釈できる人間が居るとすれば、恐らくそれは、その田村と極めて運命的なキャリアの交差を描いて来た、桜庭以外居ないのかもしれない。

過去と未来をつなぐ一戦? 過去の亡霊を葬り去る一戦?

2003年、2004年と連続してビッグイベント「PRIDE男祭り」に田村vs桜庭戦の構想をぶち上げながら、田村の頑な拒否にあって果たせなかったDSE。「UWFとPRIDE、過去と未来をつなぐ一戦として実現したい」というのが榊原社長の主張である。だが、田村の参戦を常にPRIDEへの抵抗運動と見る僕には、実質それが「UWFというPRIDEの過去の亡霊を葬り去る一戦」になるのではないかと思える。

現に、Uの一つの頂点を極めた高田の引退試合を、PRIDEルールで闘う事で、田村は勝者となりながら、号泣に暮れたではないか。あの涙は、かつてのUの同志を自ら“VTという野蛮きわまりないスタイル”で葬り去り、「Uの時代の終わり」を刻印するしかなかった自分の、罪深さ、そして運命の皮肉を表現したものではなかったか。

だからこそ、田村は桜庭との“同志決戦”には、最終的に同意する事はまずないだろうと、僕は見ている。どっちが勝っても、最終的に栄誉を受けるのは田村でも桜庭でもない。それを実現し、現実的には観客動員を伸ばすDSEの思う壷でしかない。ましてU戦士同士で、UWFの墓標を打ち立てるような戦いに、再び田村が出て行く訳が無いからだ。
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