“外部の血“が求められる訳

いずれにせよ、組織として「北斗旗=大道塾内部の大会」というイメージを持たれ続ける限り、「空道」が「柔道」や「レスリング」に並ぶ一般的な競技にはなることはできない。当然二十数年の歴史を背負った組織が急速に変わる事は難しいと思うし、そこに凝り固まった理想主義の石を投げるのは意味が無いと思う。

ただ、第二回の世界大会という大舞台を一年後に控えた今、そろそろ「空道」と「大道塾」の組織を明確に切り分けて、外部の競技者がよりニュートラルに参加できる環境づくりに着手して欲しい気がする。北斗旗大会が「大道塾主催のオープントーナメント」ではなく、「競技の頂点を争う場」になるのが「空道」の発展にとっては理想形であると、僕は思う。

これは若干余談になるが、一時期極真から独立した元世界チャンピオンの数見肇選手が、北斗旗に参戦するのではないかという噂が流れたことがある。真相は、ある専門誌に総合格闘技の練習を行う数見選手の姿が掲載されただけのことではあったのだが、空手家が総合スタイルに挑戦する舞台として、プロイベントではなく、まず北斗旗が想定されたという事は決して悪い事ではない。。武道空手の理想を追求して大道塾を立ち上げた東塾長の理想に、ようやく外部からの同調者が現れ始めたということなのだから。本来なら歓迎し、積極的に誘致交渉に動く事があってもよかったのではないかと思うほどだ。

だが、現時点でそういう動きはないようだし、当然数見道場から北斗旗に選手参加と言う動きは起こっていない。

「大道無門」という言葉を(理想に向かうには一定の門は必要ない。万事を受け入れる姿勢が、大悟に向かう方法だと説く仏教用語)を理想に掲げたのが「大道塾」のルーツである。外部の選手の参戦にハードルがあってはならないのではないか。

本来、数見肇はもちろん、総合武道を提唱して京都に道場を開いた元正道会館の佐竹雅昭なども、思想的には十分空道の同調者になりうる可能性をもった選手のはず。彼ら、あるいは彼らの門下生が北斗旗に参加し、「空道」という競技を追求する姿を僕は夢想せずにはいられないのだが、所詮それは儚い夢でしかないのだろうか。