設立されたばかりのスーパーヘビー級王座は、まさに渡りに船。「世界」への通行手形を手に、想いは再びUFCへ。 |
無冠の帝王、11年目の初ベルト
おもえば長い道のりだった。高阪剛34歳。リングスでのプロデビューから11年目。かつてのライバル団体パンクラスで、トップコンテンダーのロン・ウォーターマンを破り、初戴冠となるスーパーヘビー級王座を射止めたのである。
彼ほどの実力とキャリアを持つ選手が、これまでノータイトルであった事の方がむしろ不思議なのだが、これまで高阪はタイトルと名のつくものにとことん縁がない。
通算80戦、45勝32敗3分け。
間にプロレス試合やグラップリングオンリーの試合も含めてではあっても、選手生命の短い格闘技業界にあってこの戦績は、「鉄人」と呼ぶに値する数字である。リングス時代、今をときめくアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、エメリヤーエンコ・ヒョードル、ランディー・クートゥアら世界トップ選手と互角の名勝負を繰り広げた実績は、それだけでも世界に通用するレベルと言っていいだろう。
中でも1998年~2002年の3年半の間にUFCで6戦をこなし、日本人選手として初のオクタゴンレギュラーとなったことは特筆に価する。バス・ルッテン、ペドロ・ヒーゾ、リコ・ロドリゲスら、トップ中のトップとヘビー級タイトル戦線を争える選手は、彼を置いて他に無かったに違いない。
しかし、その激闘で彼に与えられたのは、“世界のTK”という異名のみ。残念なことに、いずれの「剣が峰」の戦いも、高阪は超える事が出来なかったからだ。
特に最後の参戦となった2002年5月UFC37リコ・ロドリゲス戦は、二月に母体であったRINGSが活動を停止し、次の進路を定めなければならないタイミングに舞い込んだ大チャンスであり、さらにはヘビー級王座への次期挑戦者の権利も掛かった、どうしても落せない大一番であった。
しかし、体重115キロとスーパーヘビー級の体格を持つリコに対し、高阪は当時102キロ。この13キロの体重差は大きく、また前回のUFC参戦から一年半のブランクの間に定着した技術=“グラウンドでの肘攻撃”に眉の上を切られた高阪は劣勢に陥る。結局、アグレッシブなリコの猛攻に押し切られた形で、高阪はTKO(レフェリーストップ)を喫する。
以来、高阪にUFCからのオファーは訪れていない。
再起を期した国内第一戦9月7日の「DEEP9th IMPACT」では、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦。精彩を欠いた内容で失速。以降、新日本プロレスでのUltimet Crash2戦、アブダビコンバット2003年大会でのFabricio Werdun戦などがあるが、UFC時代、あるいはリングスKOK時代の“上昇気流”を感じさせた輝きは今ひとつ取り戻せていない。