ベテランと社会人たちが躍進する競技風景
この大会の中量級で優勝を遂げた飯村健一は、1968年生まれの36歳。通常現役選手としてはほぼリミットに近い年齢である。2001年に開催された初の世界大会に出場してからは、現役選手としての活動からは退き、後進の指導にあたってきた。彼は大道塾吉祥寺支部の指導者でもあり、昨年重量級で優勝の志田淳、あるいは今大会の軽量級で準優勝を飾った末廣智明など優秀な選手を輩出させている。昨今は、飄々とした人柄のうかがえる一種ユーモラスなセコンドぶりのほうが目立つほどになっていた。優勝を支えた愛娘とのポーズ。健全な家庭人としての顔が覗く。 |
元々、ムエタイの技術に傾倒し、全盛期には肘膝を使わせればキックボクサーをも凌ぐと言われたスピーディーな打撃で大道塾に飯村ありとまで言われた選手だが、活躍時期はまだグラウンドの攻防が今ほど重視されていなかった90年代のことであり、そのギャップが埋められるかどうかに注目が集まっていた。しかし、試合こそしなかったものの、指導者として、柔術で名高いパレストラに打撃クラスを持つなどネットワークも広く、時代の流れだけはきっちりと把握していたらしい。ここぞというところで見せた、寝技への対応は、久しぶりに現役復帰したこの名物選手の、新境地を覗かせるものだった。
だがやはり彼の本領は切れ味鋭い立ち技。準決勝では昨年この階級を制した中川博之を相手に、前蹴りと得意のミドルで圧倒。蹴り足を掴まれてテイクダウンされた際にもあわてずガードポジションで切り抜けるという“成長”を見せたが、組んでからの首相撲での膝の切れ、タイミングはさすがにムエタイ修行を極めた選手と思わせるもので、この試合後「(後輩たちには)もっと練習しろと言いたいですね。俺が勝っちゃ不味いでしょ、でも勝つでしょうけどね」と飯村節を炸裂させていた。
さらに決勝では、どっしりと構えて闘気を感じさせない独特の存在感で、いつの間にか決勝まで勝ちあがってきたダークホースの佐野教明と対戦。前に出ず、相手の動きに対応してくる佐野の“軟投”スタイルに苦しんだ印象はあったが、やはり組んでからの技のキレはすばらしい。特にこの試合で多用した、顔面への肘の速さ、的確さは見ていて惚れ惚れするものがあった。(余談だが、アマ総合でこうしたムエタイ流の肘を解禁しているルールはおそらく北斗旗のみ。プロでもニーパットを付けての攻防を許す団体が一部あるのみで、ほとんどは禁止技にしている。このあたりスーパーセーブを採用したこのルールならではの強みというべきであろう。)
延長では、佐野が巧妙に飯村の蹴り足を取ってグラウンドに引きずりこむことに成功。マウントを奪取してあわやという局面を作って見せたが、再延長に入って逆に飯村も同じ展開を作って“逆襲”。マウントからニーオンザベリーへ以降し、襟を掴んでのワンハンドグラウンドパンチで圧するという“新境地”できっちりポイントを取って優勝を決めて見せた。
優勝を決めた飯村がマスコミのインタビュウを受ける間、その禿頭に浮かんだ汗を必死にハンカチでぬぐう幼い娘さんの姿が、またアマチュア競技独特のほのぼのとしたありようを感じさせる。飯村の久々の復活を支えたのは、試合中はずっと“お父さん、ガンバレー”とバックアップしつづけていた彼女の黄色い声援だったかもしれない。