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集中連載・総合格闘技をオリンピックに(3) アマ総合の牙城・修斗の歩み(2ページ目)

連載第三回は、日本のアマチュア総合格闘技の現状と、その中で五輪に採用可能な競技はあるのか?を考えます。

執筆者:井田 英登

まずアマチュア育成からスタートした修斗

かくて1986年6月30日、おそらく日本初の総合格闘技アマチュア大会「第一回プリシュータートーナメント」が後楽園ホールで開催されることになったのである。既に体重制を取り入れ6階級からなるクラス分けを導入。後にUFCが採用したオクタゴンを先取りした発想として語り種となる八角型のマットを導入、顔面には顔面保護の透明マスクを着用するなど、新しい格闘技をデザインしようとする工夫がいくつも行われていた。

また翌年3月にはプロ活動開始に先駆けて現コミッションの原形となる「修斗協会」が発足。当時自民党の有力議員であった安倍晋太郎氏を最高顧問に迎えるなど、ボクシングにも劣らない競技を目指そうとした佐山の意識の高さが伺える。5月の第二回アマチュア大会「プリ・シューティング・セカンド・クール」には掌底に代わる顔面打撃の手段として、オープンフィンガーと八角型のリングが導入。競技デザインが非常に明確になった。以降、プリ・シューティング7大会を開催して(内二大会はマスコミ非公開)、年末には12人の選手がプロ認定(当時の用語では「修士」)を受け、修斗はプロを中心とした体制をようやく整えることになった。

修斗がプロ興行旗揚げを果たしたのは89年5月18日のこと。これによってプリ・シューティングは役割を終えた。以降アマチュア大会は、後楽園を使用するようなスタイルでは無くなるが、その後も中井裕樹ら“第三世代”と呼ばれるシューターを次々発掘、修斗の基盤を支える基盤となる。

さらに94年6月には、町田市総合体育館でついに「全日本」を冠せられた大々的なアマチュア大会がスタート。この大会に参加した佐藤ルミナ、巽宇宙らが、後にプロ修斗のブレイクを支える人材として羽ばたいていく。
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