【第一回】総合格闘技は、古代オリンピックの花形だった
【第二回】オリンピックを目指す世界の新格闘団体たち

日本初のアマ総合は八角型のマットを舞台に

日本の格闘技業界において、現在もっとも整備されたアマチュア総合格闘技運営を行っているのは、日本修斗協会であろう。

彼等はプロアマ問わず「修斗」というスポーツをきちんと社会に普及させることを目的にしており、ルール統括を行うコミッションと、運営をおこなう協会を分離。さらにプロ興行を行うプロモーターによる「三権分立」を提唱して、プロ興行だけに頼らない、ボクシング型の競技運営を行っている

本来一般のプロスポーツでは、競技統括組織(コミッション)と商業的運営組織が別個になるのが当たり前のことである。しかし、日本における「総合格闘技」は1980年代後半に盛り上がったUWF系のプロレスから派生する形で、なし崩しに競技化が進んだという経緯があり、未だにコミッション組織を持たない団体がほとんどである。明快な競技デザインや進歩の方向性が定まらないまま、日々のイベント運営を優先した結果であろう。プロレスとの線引きも長らく曖昧にされたままであった事も混乱に輪をかける結果になった。

だが、佐山聡という理論家によって創成された修斗は、まずプロではなくアマチュア養成からスタートしている。

自らが歩んだプロ組織内部での矛盾を、修斗には背負わせまいとする意志の現れであろう。1984年新日本プロレスを離脱してプロレスラーとしての活動を中断した佐山は、まず世田谷区にスーパータイガージムを開設。全く新しい格闘技である「シューティング(修斗)」の担い手を、アマチュアから育成することに全力を注いでいる。

その後、格闘技エッセンスの強いUWFに一時的に現役復帰して、UWFの所属選手を中心にシューティングを発展させようと考えた時期もあったようだが、プロレス経験者に純粋なスポーツ競技化を強いるほどの強いリーダーシップは発揮できず、結局佐山一人がUWFを去る結果に終わっている。

しかし、この離脱が長い目で見ると好結果を生むことになった。
佐山の育成した純潔のアマチュアだけで、修斗という競技がスタートすることになったからだ。またそこで佐山が取った戦略もすばらしかった。従来のプロレス方式で、彼等をプロとしていきなりリングにあげるのではなく、「プロ化前提のアマチュア大会」という、当時としては相当画期的な方法で世に出したのであった。