敗者の見つめる深淵
たった一人の控え室で、まるで糸の切れた人形のような脱力状態のマイケルは、うつむいたままバンテージを解いていた。床に、白い布の螺旋がゆっくり山を築いていく。そして、ようやく自由になった左の掌で、マイケルは顔面を被った。
声もなく、肩を震わせ始めたゴツい肉体の持ち主に、僕は掛ける声を失って立ち尽くした。
まぎれも無く、今誕生したばかりの敗者。
格闘技とは常にこうして勝者と敗者を振り分けるゲームだ。試合の数だけ勝者と敗者が生まれる。
試合終了のゴングが鳴る瞬間までは、一厘の差しかなかった両者の間に埋めようのない深淵が穿たれ、敗者は闇を見る。今、マイケルはその深淵を凝視していることだろう。
その深淵を、闇の深さを僕は知りたかった。
この文の始めに、僕は「他のマスコミと全く正反対のベクトルでマイケルに興味を抱いた」と書いたと思う。それは僕が「敗者復活戦」として、マイケルのキック挑戦を捕らえていたからだ。
マイケルに関する現在の報道は、彼のJリーグ時代のキャリアを過大評価した非常に好意的なものだと思う。実際、僕自身のNumberでの記事も、概ねそのラインで書かれている事は否定しない。だが、正直な所をいえば、僕はマイケルを期待のホープと持ち上げる気はさらさらない。むしろ“きわめつけの敗者”であると捕らえている。
確かに有り余るフィジカルアドバンテージを持ち、キャリア的にも一般のサッカー少年の頭を飛び越すようなスピードでプロに進んだ選手ではある。だが、そこに栄光と呼べるもの何も無かったはずだからだ。
山口氏から送られたJリーグ時代の彼の資料を見て最初に思ったのは、彼が相当のトラブルメーカーではないかということだった。彼のフィジカルデータから想像するに、非常に将来を嘱望された選手だったと思う。事実、当時を物語るいくつかの新聞の切り抜きには、「ガーナ生まれの凄い奴~16歳矢野マイケル君」「バクスター監督絶賛、矢野マイケル華麗デビュー」といった文字が踊っている。それらの褒め言葉を裏切るかのように、その後の彼は様々なチーム遍歴を繰り返し、その度にキャリアダウンしているのだ。どう考えても、居場所を追われ続けた放浪者のイメージしか浮かばないのである。
「“J”から“K”へ」
それが、マイケルのプロデビューの舞台となるIKUSAの付けたキャッチフレーズである。しかし、その言葉から想像される“華やかな転身”とはおよそ遠い熾烈な遍歴を、僕はマイケル自身の口から聞くことになる。