大波乱だった。
昨年世界王者としてK-1 MAXの頂点に立った魔裟斗を追撃すべく、八人の選手が代々木第二のリングに集結した2.24K-1MAX Japanトーナメント。
本命は元シュートボクシングカーディナル級チャンピオンの村浜武洋。村浜は過去K-1マッチ7戦で4勝3敗。内2敗はいずれも対魔裟斗戦であり、それ以外の日本人には全く敗れていない。身長163cm、67kgとK-1MAXの枠の中では最も小兵だが、回転が早く正確なパンチ、そして出入りの激しいスピーディーなファイトスタイルは、その身長差を補ってあまりある。かつて、97年の東京ドームで「K-1フェザー級王座」を賭けて戦った前田憲作との死闘は未だにファンの語り草でもある。
その村浜が、K-1初戦の総合ファイターになすすべもなく轟沈されてしまったのだ。谷川プロデューサー、そしてライバル魔裟斗がともにこのトーナメントの優勝大本命に上げた男は、よもやの1回戦敗退という結果で姿を消した。
その負けっぷりも、意外というしかないものだった。華麗なコンビネーションを誇り、多少のラッシュでは潰されることのなかった村浜が、一発のアッパーでダウンを喫し、最後は一方的にパンチの嵐を浴びて、力なくロープにヘタりこんでしまったのだから。魂が抜けたような表情の優勝候補を背に、勝者は試合が終わってなお野人のような精気を放っていた。それどころかレフェリーに右手をさし上げられながら、HIP HOPダンサーのように軽いステップを踏んで跳ね回っているではないか。まるでまだ踊り足りないぜと言わんばかりに。あまりの異様な光景、そして意外な結末であった。
見事な大判狂わせを演じた、この男の名は山本“KID”徳郁(のりふみ)。この結果によってK-1 MAXの地図は一夜にして書き換えられたと言っても過言ではない。当然、摩裟斗に続くMAXでの実力二番手の地位は、この日優勝した小比類巻のものだ。しかし、この晩、最も観客にインパクトを残したのは、むしろこのKIDではなかっただろうか?
■俺は格闘技の神の子
ではKIDとはどういう選手なのだろう?
実際、純粋なK-1ファン、あるいはMAXしか見ないというファンには全くなじみの薄い選手かもしれない。
現在、総合格闘技のパイオニアである修斗のライト級ランキング3位。最も王座に近い男として将来を嘱望されるトップファイター。それがKIDの肩書きである。
ファイトスタイルはシンプルそのもの。かつて学生時代全日本レスリング選手権2位にまで上り詰めたアマレスのテクニックを武器に、テイクダウンして強烈なパウンドを浴びせるラッシュファイトが身上。パンチ自体も強烈で、勝っても負けても短期勝負の殴り合いとなる。
要するに関節技を武器にする総合スタイルというより、喧嘩に最も近い本能的なファイター。全身のアドレナリンを噴出させて、短期で勝負をつけるスタイルゆえに、スポーツの範疇で収まりきらない事件も巻き起こす。一昨年の9月横浜文化体育館での勝田哲夫戦では、レフェリーの制止を聞かずグロッキー状態の相手を殴り続けて、120日間のライセンス停止というキツイお灸をすえられたこともあるほど。
ファッションや言動もいわゆるストリート系のB-boyスタイル(HIP HOPの流れを汲んだ不良ファッション)で、傲岸不遜。眉をしかめる昔かたぎのファンも多いものの、逆にその不敵な佇まいにカリスマを感じる若いファンも多い。
そのKIDがK-1に上がると聞いて、またぞろ、傍若無人な喧嘩ファイトを展開して試合をぶち壊すのではないか? といった波乱を予想した人は少なくあるまい。
大会直前のインタビューでも、「俺は格闘技の神様の子供」とうそぶき「俺を尊敬しない相手はぶちのめす」と言い切ったKID。ビッグマウスなのか、彼の闘争本能が言わせるスの言葉なのか。全盛期のモハメド・アリを思わせるような、大仰で、そして自信たっぷりの言葉は、精神論と技術至上主義である日本の格闘技ファンの支持は受け入れられにくい。
今回に限って言えば、テクニシャンである村浜が、暴れ牛のようなKIDをどう裁くかに興味の焦点は集まっていた。K-1 MAXに照準をあわせて辰吉丈一郎のかつての師でもある島田トレーナーをコーチに迎え、「ようやく納得の行くパンチが打てるようになってきた」と自信を覗かせていた村浜。当然ファンは、彼の活躍を疑いもしなかったに違いない。
だが、この大会で村浜には隠された二つの大きなハンデを負っていたのだ。