そもそも近藤という選手は、パンクラスの10年が生んだ一つの集大成である。
団体の創始者である船木誠勝がもっとも手塩に掛け、そして慈しんだハイブリッドレスリングの寵児。第一期生の中で最初にKOPのベルトを腰に巻き、そして船木の最後の舞台となったコロシアム2000では、第一試合でヒクソンの弟子を膝蹴り一発に沈めるという快挙を成し遂げてもいる。ある意味、船木があの日引退を決めることが出来たのは、近藤がそこに居たからだったからかもしれない。
その近藤が特にその真価を発揮しはじめたのは船木が消えた後、パンクラスが世界標準ルールであるVTに照準を絞ってからだ。果敢にUFCに挑戦し、無敵の浮沈チャンピオンのティト・オーティスの後塵は拝したものの、世界レベルで通用する選手がまだパンクラスに居るのだということを、十分知らしめたと思う。その後も、ホームグラウンドで、グローブに適応できず戦積を落としていくismの選手の多い中一人気を吐き、当時猛威を振ったGRABAKAのNo.2以下をことごとく葬る快進撃を見せたことは今も語り草である。この五月についにはGRABAKA総大将の菊田を引きずり出し、往年の船木vs鈴木戦を髣髴とさせるような、緊迫した戦いを繰り広げた。この一戦は、パンクラス10年の歴史の中でも3本の指に入る熱戦に数えられるかもしれない。
そして今、新日本との対抗戦の先頭に立った近藤は、その先陣にして最強の刺客ジョシュ・バーネットとの戦いを受けて立った。団体の浮沈を賭けたあの大勝負は、今後、あの船木vsヒクソン戦にも匹敵するパンクラス史の大きな転回点になる可能性がある。
普通、これだけの修羅場をくぐり、それなりに結果を残した人間であれば、おのずと相当のカリスマ性を身に着けそうなものである。しかし、この若きエースはまったくそういったギラギラしたものを感じさせない。泰然自若というか、話してみれば判るが、きわめてフツーの人なんである。というか、およそ感情を昂ぶらせるということがないので、普通じゃない(笑)。常に茫洋とした佇まいを守り、物言いにもまったくとげとげしいものがない。格闘技にはとかくバイオレンスビジネスのイメージがつきまとう。その意味で、選手にはアスリートとしての紳士的な振る舞いが求められるわけだが、それにしても、さすがにココまで大人しいと、逆に格闘家としての説得力に欠けるのではないかと、要らぬ心配までしたくなってしまおうというものだ。
近藤にすれば、決して猫を被っている訳でもあるまい。無論ライバルの菊田などに言わせると「何も考えてないなんて大嘘ですよ」となるわけだが、まあそれも仕方あるまい。春風駘蕩を絵に描いたような平和な表情のまま、顎の外れそうな豪快なパンチを降らせてくる相手なのだから、どう考えても腹に一物あるのではないかと勘ぐりたくなるであろう。ただ、近藤が、“外面如菩薩、内心鬼子母神”の類かというと、やはりそうでもなさそうである。実際、どんな顔をしてようが、殴れば痛い。一般社会であれば、表情を偽ったり、外面善人ヅラして近づいてきて、油断したところをぶん殴るといった、古典的な騙しも通用するかもしれないは、こと近藤は格闘家なのである。リングに上がった段階で、泣いて居ようが笑っていようが、ぶん殴ってくるのは百も承知なのだから。